ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

大森靖子 kitixxxgaiaツアーファイナル in Zepp DiverCity感想文

去年のTokyo Black Hole(TBH)ツアーファイナルで大森靖子が言っていた言葉が忘れがたい。自分で書いた感想文から引用する。

 

私の音楽はちょっとだけしか気分を上げない、アイドルはぶち上がるんだけど、と大森靖子は笑っていた、そんなことないよーという黄色い声はかわいかったけれど、その後の大森靖子の言葉はかっこよかった。死線はここだから、そこからちょっと上がれば十分だ、と。彼女はそんなようなことを言った。

「あなたをフォローしています」 大森靖子 Tokyo Black Holeツアーファイナル in ZEPP TOKYO感想文 - ひとつ恋でもしてみようか

 

しかし今回のkitixxxgaiaツアーファイナルの大森靖子はどうだったか。「IDOL SONG」を歌った大森靖子のライブはパーフェクトなショーで、観客をめちゃめちゃにぶち上げてくるものだった。観客はピンクのライトを振り上げ、声を出し、体を揺らす。フロアは揺れる。

 

この感覚は去年の大森靖子のライブでも味わった。去年2月の赤坂BLITZワンマンの時のことだ。
その時の感想文で僕はこんなことを書いていた。

 

大森靖子のライブに初めて行った2年半前、そしてそれからしばらくは彼女の歌に泣かされる事が多かったのだけど、今年に入ってから行った2回のライブ(リキッドルームときょうの赤坂BLITZ)はともに笑顔にさせられるもので、これはすごいことだなあと思っている。

最初から希望とか歌っとけばよかった 大森靖子「HELLO WORLD! MYNO. IS ZERO」雑感 - ひとつ恋でもしてみようか

 

大森靖子のkitixxxgaiaツアーファイナルは、TBHツアーファイナルと地続きというより、出産後初のワンマンライブとそのフィーリングを同じにしていると感じた。今回のツアーに対して僕は、大森靖子の音楽が死線ギリギリを超えさせるものではなく、そのライブの瞬間死線を忘れさせてくれるという印象を抱いた。
そのことは大森靖子自身が今回のツアーを「超移動式楽園キチガイア」と称したことからも伺える。《キチ(基地/聖地)+ガイア(地球、女神)》というコンセプトの「ひみつきち」に集ったものたちの祝祭の場、それが今回のツアーだった。

 

ライブハウスというハレの場、たのしさもかなしさも等しく喜びとして慈しめる楽園的空間から、日常に戻った僕らは死線の存在を思い出す。でも、大森靖子はまたすぐに次のライブをかましてくれる。その時までなんとかがんばろうと思う。そんなライブを見せてくれた。



今回のライブ、大森靖子のギターの音だけが明瞭に聞こえたのは「あまい」の冒頭だけだったんじゃないか。今回のライブは常にバンドサウンド、あるいはSugarbeansの伴奏が鳴っていた。大森さんはあまりギターを弾かなかった。


弾き語りの大森さんは、観客の顔ぶれや会場の雰囲気によってその日のセットリストをリアルタイムに組んでいくスタイルを取る。しかしこの日は弾き語りセクションをひとつも設けないまま、あくまでも《シン・ガイアズ》のボーカル・大森靖子として最後まで歌いきった。
もちろんMr.Children桜井和寿サザンオールスターズ桑田佳祐がそうであるように、圧倒的なフロントマンとしての大森靖子がそこにはいる(なんたって《超歌手》だから)。しかし、ミスチルがあの4人のバランスで成り立っているように、サザンを脱退した大森隆志のプレイが時々恋しくなることがあるように、シン・ガイアズの演奏も、彼らでなくては成り立たなかった。だから、シン・ガイアズとは《大森靖子》の別名なのだ。


ピエール中野のドラムもパワフルかつ正確で特に今回のライブはバランスが絶妙に感じられたし、えらめぐみとアイコンタクトをしながらの演奏がシン・ガイアズの屋台骨になっていた。あーちゃんのコーラスも素敵で不可欠になっていたし、サクライケンタはもはやいるだけで最高……ギターソロと大森さんとの熱い抱擁はこのライブのハイライトのひとつ。
しいて言うなら個人的にはギター・畠山健嗣、キーボード・sugarbeansがとても好きだった。畠山のギタープレイはカラフルだ。iPhoneを使ったスライドギターや「地球最後のふたり」でのねちっこくアダルトなプレイ、歪みの効いたギターソロがかっこよかった。sugarbeansの伴奏のみで演奏された「M」は、その強烈な歌詞世界とは裏腹に、まるで90年代から00年代前半の歌番組で歌い上げる女性歌手を彷彿とさせるサウンドに貢献していたし、「オリオン座」の観客を巻き込んだ合唱を支えていた。


ここで思い出すのが「オリオン座」の大森さんのパフォーマンスだ。観客に歌を任せてしまった彼女はステージ上を動き回りながら歌詞を全身で表現した。それは手話ともダンスとも違う躍動で、まるではしゃぎまわる子供のような自由さで歌詞を体現してみせる。
『kitixxxgaia』のリード曲「ドグマ・マグマ」では《誰でもなれます GOD》と歌われていたが、「オリオン座」を先導する大森靖子は神でも菩薩でもなくて、まるで少女だった。《手を叩いて見るものすべてを喜ん》でいる子供がそこにはいた。


だからこそ、本編ラスト「アナログ・シンコペーション」が終わり、Sugarbeansの奏でる鍵盤の音色広がる中で大森さんの流した涙が強烈に印象に残った。その時彼女はこんなようなことを言ってなかったか。
「わたしには音楽しかありません。みなさんがいてくれるおかげで今日の音楽ができました。もらった愛情は音楽で返します。これからも愛させてください。ありがとうございました」
あの涙の理由は分からない。でも今まで本編ラストの定番曲だった「音楽を捨てよ、そして音楽へ」が「アナログ・シンコペーション」に繋がることがこの日のセットリストのクライマックスだったことは疑いようがない。


《言わなくても伝わるマジカルミュージック 抽象的なミュージック止めて》の静寂と爆発を経て、《でも音楽は……》に続く時間の糸を紡ぐために選ばれたのは「アナログシンコペーション」だった。
《あなたとの違いをシンコペーション》、《それぞれの音を鳴らそう 混沌から未来を絞り出す どでかい秘密基地》という歌詞やタイトルからも分かるように、「アナログシンコペーション」はライブの一回性・偶然性を信じ、それゆえに起こる奇跡を言祝ぐ楽曲。
練りに練られたセットリストも、演者・スタッフのみならずその日ZeppDiverCityに集まったファンや観客たちによってはじめて形になったことは確かだった。

 

今回のツアー、僕は仙台rensaで行われた初日も目撃した。初日と最終日のセットリストはほとんど変わらない。「夢幻クライマックス」がバージョン違いだったことと、最終日には今度発売される新曲「draw(A)drow」が追加されただけ。あとはまったく変わらない。それでもツアー最終日はまったく違うライブだった。演奏、演出、アレンジ、会場の空気。それらすべてがパーフェクトだった。仙台の時はまだリズムが合っていなかったり、アレンジが完成してなかったりした。ツアーを経て理想とする完成形に近づける、そういうプロフェッショナルな営みの果てに、今回のZeppDiverCityのライブがあった。
パッションのみに頼らず、技術とアイディアと努力で到達した末、純度100%のパッションがみなぎっているエモーショナルなライブ。情熱がなければ、技術もアイディアも努力もありえない。

 

いつかのファンクラブ限定イベント「続・実験室」で「大森さんのとこは楽しいだけじゃなくて反省会とかでとことん話し合う。よりよい音楽をやるための環境があってそれが心地いい」というような発言がバンドメンバーから出ていたことを思い出す。個人的にはそのことを肌で感じられたツアーになった。仙台、福岡、札幌、大阪、名古屋のどれが欠けてもきっと大団円とはならなかった。


仙台rensaから、というよりも『kitixxxgaia』収録曲の中でもっともパワーアップしていた楽曲は「地球最後のふたり」だと思う。あんなにかっこいいライブアレンジになるとは! この夏のフェスでガンガン鳴らしてほしいと思った。

 


「アナログ・シンコペーション」の歌い出し《あのステージへ続く 光の道》を美しく視覚化していた照明はTBHツアーファイナルの時以上に効果を上げていた。
個人的に印象に残ったのは「きゅるきゅる」のカラフルなおもちゃ箱みたいなレインボーの彩りと、「IDOL SONG」の明るく楽しい生前葬みたいな放射する走馬灯のきらめき。他にもアプガと披露した「夢幻クライマックス かもめ教室編」のダンスホールのような明滅(とアプガと大森さんの妖艶)にクラクラした。
そしてやっぱりいつも通り、他のミュージシャンのライブ以上に、フロアの観客を照らすライトが目立ったように思う。ミュージシャンのみならず観客にもスポットライトをあてる。これこそ大森靖子のライブだ。

 

観客は入場時に「オリオン座」の歌詞プリントを手渡される。TBHツアーの時も同曲を始める際「合唱の時間でーす」と言った。この曲はみんなで歌う曲になってる。僕ももちろん歌うんだけど、この歌詞を自分で歌うとどうにも泣けてしょうがない。「オリオン座」を歌うたびに大森靖子はなんでこの曲を泣かずに歌えるんだろうと不思議になる。大森靖子のライブは「絶対彼女」のコールアンドレスポンスもお約束になっていて楽しい。
しかしこの日は定番やお約束だけじゃなかった。「音楽を捨てよ、そして音楽へ」で《音楽は魔法ではない》のシュプレヒコールが上がったのだ。お約束ではない、このシュプレヒコール大森靖子アジテーションによって起こったわけじゃない。大森靖子を中心とした、もちろん観客も含むシン・ガイアズのエネルギーが《音楽は魔法ではない》の合唱に昇華した。

 

もちろんそれは大森靖子の圧倒的な歌唱が観客を揺さぶったからだ。

 

前に大森さんは、全公演を乗り切るために逆算して1回のライブにおいて声の出しどころをわきまえ、時にセーブして歌うようなスタイルに対する違和感を語っていた。プロはそうすべきなんだろうけど、自分はそことは距離を置きたいというような趣旨の発言。
だからこの日の大森さんも、そんな風に力を抜いたりはしなかった。1回の公演を全力で歌い切る。それはきっと2度と訪れることのない、いまここでしか鳴らせない《アナログシンコペーション》を鳴らそうとしているからだ。本編全17曲の間にMCはたった1回、1分にも満たなかったはず。
 

「ドグマ・マグマ」では《誰でもなれます GOD》と歌われているけど、それは生き抜いて、生きているからこそたどり着ける高みだ。大森さんは自分が神になれたとは思っていないだろうし、僕も大森さんを神だとは思っていない。
しかし、ひとりの人間・大森靖子は、ひとりひとりの他者が放つ、軽重さまざまな想いや無意識と真摯に向き合い、ぶつかり合い、傷ついている。たしかにその姿は神の似姿かもしれない。それを神に見まごうのも無理はない。しかしその神は僕をただ救ってくれる存在ではない。最終的に僕を救うのは僕だ。その希望をくれたのが、このキチガイアツアーだった。


ステージ中央に掲げられた青柳カヲルの絵を思い出す。そこには黒い穴の向こう側に浮かぶ月に照らされながら座り込むひとりの少女がいる。その表情は明らかに大森靖子その人だ。彼女は孤独なんだろうか。ならば、僕も孤独な混沌の紫の中に身を沈めてみよう。そこからしか見えない心の黒い穴を通じてふたたび出会おう。


いつからか、「結婚したことによって自分は名字も変わったから、私はもう大森靖子じゃないんですよ。《大森靖子》はみんなで作るもの」みたいなことを彼女は言うようになった。それぞれの《大森靖子》像が重なりあい反発しあって増殖したり削り取られていく。それぞれの想いが《大森靖子》という偶像を築いていく。そこには教義なんてものはなくて、ただ自分だけが信じるそれぞれの《大森靖子》がいるだけだ。それぞれの投射する像を受け入れられる器になってやろうという大森さんの気概が、心意気が、信念が、慈愛が、キチガイアをつくった。

 

 

このファイナルでいちばんグッときた曲は「君に届くな」。

こうして食べて、生きて、こころが膨張して、なにかが削られて、気持ち悪い
その全てを、全世界にぶち撒けたい私の全てを、
君にだけは届けたくないほど
君が好き

大森靖子 公式ブログ - 君に届くな - Powered by LINE

 

僕にはまだぶちまけられるほどの己もなくて、そのことをめちゃくちゃに突きつけられた。おもいきり全力で生きて歌ってファンを肯定する大森さんは果てしなく遠くにいる。それなのに近くに感じられる。この遠近の融解はいったいなんなのだろう。つい無内容な自身の中身をぶちまけてしまいたくなる。なんにも無いのに、ぶちまけたい気分だけがある。だからこのライブが終わった後の僕は、圧倒的に楽しいライブに「めちゃくちゃ楽しかったなあ、すげえなあ」と感想しながら、めちゃくちゃに歯がゆくて焦ってしまった。

 

セットリストをナタリーから引用して終わる。

お台場に“超移動式楽園キチガイア”!大森靖子、圧倒的に最高なファンとツアー完走 - 音楽ナタリー

01. ドグマ・マグマ
02. 非国民的ヒーロー
03. イミテーションガール
04. きゅるきゅる
05. 地球最後のふたり
06. ピンクメトセラ
07. LADY BABY BLUE
08. マジックミラー
09. 夢幻クライマックス かもめ教室編
10. M
11. オリオン座
12. 君に届くな
13. 最終公演
14. あまい
15. TOKYO BLACK HOLE
16. 音楽を捨てよ、そして音楽へ
17. アナログシンコペーション
<アンコール>
18. draw(A)drow
19. ミッドナイト清純異性交遊
20. IDOL SONG
21. 絶対彼女

 

これだけのライブをやってのけた後の弾き語りツアーはどんな感じになるんだろう。