ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

「大森靖子生誕祭」(2019年)をシラフで見た感想文

大森靖子さんの生誕祭に行った。

2016年がはじめての参加だったから、今年で4回目。2016年の大森さんは29歳だった。今年は僕が29歳。なんだか途方も無いものを感じてしまう。今年、大森さんは32歳。

 

生誕祭に毎年出演するジョニー大蔵大臣さん(水中、それは苦しい)とぱいぱいでか美さんは、毎年ここでしかパフォーマンスを見ていないのもあって、毎年恒例行事感が増す。生誕祭の帰り道にいつも口ずさんでしまうのは「PAINPU」だったりする。

そういえば「芸人の墓」も聞きたかったな。水中、それは苦しいのライブ見に行くしかない。

 

毎年ここでしか会わないふたり(ぱいぱいでか美さんは、ビバラポップでも見れるようになったのだった)のパフォーマンスを見てると、その明るさとは裏腹になぜか「死」を感じてしまう。毎年着実に死に近づいていく僕らという限りある存在が意識されてしまう。ジョニーさんもでか美さんも、盆正月に会うたび目に見えて老けていく祖父母とは違って、見るたびにパフォーマンスに磨きがかかっていて進化しているのだけれども、その“変化”が1年という時の長さを突きつけてくる。ジョニー大蔵大臣の息子がステージに上がり、3人で「チュープリ」(ZOC)を披露していたが、その息子が1歳くらいのときに大森さんの月イベント「続・実験室」に登場したのを僕は見ている。彼は圧倒的成長過程にあるけど、でもやっぱり僕らと同じように死に近づいている。なぜだかそんなことばかり考えてしまう、おめでたい場なのに。

 

と思ってたら、大森さんは黒に身を包んで現れた。天邪鬼な彼女は、おめでたい場にみんながピンクを着てくるだろうから逆に喪服を纏ったと言っていた。 話は飛ぶけれど、アンコールでケーキを持って出てきたジョニーさんが「僕は5番師匠だけど、ほかの4人の師匠は誰?」と聞いたとき「加地さん?まあもう死んだけど。私、超えたしね(笑)」と言っていたのにグッときた。メジャーデビューして、超歌手になって、ビバラポップというアイドルフェスのプレゼンターを務め、ZOCを作りアイドルにまでなった大森靖子のはじまりの場所には加地等がいたこと、その人はもう死んでしまったということ。生前の加地等さんを知らない僕がこんなことを知ったような顔で書くのは憚られるけど、そんな軌跡に想いを馳せて勝手に感傷に浸ってしまった。

 

【セットリスト】

1.Over The Party

2.ZOC実験室

3.Re: Re: Love

4.VOID

5.非国民的ヒーロー

6.MC(ホールコンサート開催とベストアルバム発売の発表)

7.7:77

8.JUSTadICE

9.きもいかわ

10.君に届くな

11.アナログシンコペーション

12.あまい

13.TOKYO BLACK HOLE

en)

1.ミッドナイト清純異性交遊

2.絶対彼女

 

大森さんのライブは2017年の三十路初のライブと同じく「Over The Party」で始まった。「進化する豚」のフレーズを会場全体で叫ぶのいつまでたっても痛快。個人的に「イカれたニートイカしたムード」を聴くと未だにドキッとする。一気に白壁に囲まれたワンルームに引戻される。

「ZOC実験室」を経ていきなりの「Re:Re:Love」に面食らう。聴きたいと思ってた曲が序盤に来ると、まだ状態整ってないからうまく受取れなくなってしまう。

そういえば今日はいつぶりか覚えてないくらい久しぶりに、シラフでライブを見た。大森さんにはなるべくシラフで挑もうと思ったから。

500円と交換したドリンク券をミネラルウォーターと交換するのすごく贅沢で一瞬躊躇われてしまった。アルコールを入れずに臨むライブは心が浮ついてしまって最初から没入することができなかった。ここ数年、僕はアルコールに頼り過ぎていたなと感じる。シラフでライブハウスにいると、漂うビールの香りに気づく。

「Re:Re:Love」のときもまだどこかそわそわしていて、まともに受けきれなかったのが悔しい。峯田のパートを歌うサクライケンタさんの声が少年と青年のあわいを漂うようですごくよかった、まだ未熟で苛立ちも感じさせるけれど、その視線の先は途方もないところを見ている、そんな歌声だった。

 

「VOID」の前のMCだったか、大森さんが「私の部屋で生まれた曲があなたの部屋に届いてライブハウスで会えた」というようなことを言った。思えば、空間に間仕切りのないライブハウスも巨大なワンルームだ。“一番汚いとこ”見せ合う“ワンルームファンタジー”が繰り広げられる空間。僕を守ってくれて、かつ、僕をひとりぼっちにさせないワンルームは、大森靖子が歌うライブハウスだった。大森さんが「家を抜け出して僕の部屋においで」と、イヤホンを通してずっと誘いかけてくれたから、2014年の僕は大森靖子に出会えた。それから人生が少しずつ進み始めたんだった。

 

「JUSTadICE」での大森さんの舞は、ZOCの振付を担当するrikoさんを彷彿とさせながらも、rikoさんのしなやかで優美な動きともまた違う、力強いものがあった。

大森さんのステージ上での動きでいうと、腕と手の動きは遠くからでも見通せるからやはり見逃さなくて、“夢の延長戦地球に刺繍する」ところのなまめく手は妖しげで、「アナログシンコペーション」で腕をスッと渡る指先は、刃物で腕をサクっと裂いているようで鮮血を幻視してしまい、目を背けたくなるほど美しい。

 

今日もっとも感動したのは「きもいかわ」「君に届くな」「アナログシンコペーション」の流れだった。「きもいかわ」はアレンジが素晴らしかった、幽玄が煌めいて東京の今を満たす。「助けてって言える人生でいてね」という言葉に震える。「『助けて』って言っていいよ」という赦しと、そんな人生を生きられますようにという願い、そして、助けること・救うことは本質的には他者にはできないという諦念からしか僕らはスタートできないという達観まで込められた、祈りの言葉だと思った。「叫んで喉が切れる血の味が好きなだけ」って歌詞がいつもより切実に聴こえた。

「君に届くな」は大森さんの楽曲のなかでも、一二を争うくらいに好きな曲で、去年の生誕祭では「流星ヘブン」と「死神」に挟まれての演奏だったが今年も聞けて嬉しかった。今年は「きもいかわ」と「アナログシンコペーション」を繋ぐストーリーの要になっていた。「きもいかわ」で“僕は僕を守るもの”とつぶやいた孤高の存在は、「君に届くな」で“全世界にぶち撒けたい私のすべてを 君に届けたくないほど 君が好き”といって愛する他者との繋がり方にもがき、その果てでかすかに「アナログシンコペーション」する、その物語の美しさ。“こんな愛を捨ててしまおうか 使い方次第でひとつの世界を終わらせてしまう 形ない核兵器”という歌詞の意味、ようやく分った気がする。

 

大森さん、曲を作っても作っても、一曲ならこれだけの質量込められるんだなって驚くほど曲が生まれる、と言っていた。まさに“愛は生まれすぎる 歌ってもまだ”のフィーバータイムを永遠に続けられる人。楽曲提供するとき、それを歌う人を愛さないと曲なんか描けないと大森さんは言うけれど、「形ない核兵器」な愛の使い方を、こんなにも真摯に考え続けて行動し続けている人を僕は他に知らない。愛は生まれてしまうからこそ、きちんと扱わなくちゃいけない。生まれた愛を暴走させず制御してエネルギーに変える努力を怠っている僕らは、もうちょっと大森さんを見習って生きるべきだ。愛を正しく使いたい。

 

本編ラストの「Tokyo Black Hole」、サビの歌い方が今までと違っていて、東京の暗渠を蠢くようなメロディラインにドキドキした。あとさっき手と腕の動きのところで言い忘れたのだけれど、「弱い正義で今宵射精」と歌うときの右手首のしなやかな気だるさにもドキドキしました。

 

アンコールは「ミッドナイト清純異性交遊」と「絶対彼女」。5年前にはじめて聴いたアルバムの冒頭2曲を聴きながら思っていたのは、今当たり前のように楽しんでいる大森靖子の歌とダンスが、5年前からはとても想像がつかない境地のパフォーマンスだということ。あるときまでは“泣きのあと一曲”の「さようなら」を求めていたけれど、今はそんなのが蛇足になってしまうほどに、大森靖子の音楽が完成されていて、唯一無二の高みにたどり着いている。歌い方だってこの5年でもだいぶ変化しているし、アルバムも毎回全然違ったアプローチをしてくるから凡庸な僕は受止めるのに毎度時間がかかってしまう。それでも大森靖子の音楽がずっと僕を捉えて離さないのはその魂が変わらないからで、だから僕はやっぱりずっと、命尽きるまで大森靖子の作る音楽と、彼女自身が好きだ。

 

今年は「絶対彼女」のときにサビのフリを小さくだけれど恥ずかしがらずにできたことが嬉しかったです。妻もいっしょに行ったから億劫がらずに物販もたんまり買えた。

発表されたクリスマスイブのホールライブ、大森さん自身はもちろんファンも待ちわびていたストリングス構成で心底楽しみ。絶対むせび泣く。正装して行くために痩せよう。

というかその前に47都道府県ツアーのファイナルの方が待ち遠しいのだった。生誕祭のシンガイアズの仕上がり過去最高だったので、その集大成はとんでもないことになるだろうな。すごいな、死ぬ瞬間まで衰えないんだろうな。大森さん誕生日おめでとうございました!