大森靖子さんにインタビューしました
今日7月11日にアルバム『クソカワPARTY』をリリースした大森靖子さんにインタビューしました。
大森靖子、NEW ALBUM『クソカワPARTY』リリース・インタビュー。「このアルバムで“大森靖子”は死に、再生する。」 – DE COLUM
大森さんの話す言葉ってほとんど全部おもしろいんですよね。それは大森さんの言葉がいちいちほんとうのことだからで。
こう言うと、「正論はかったるいよ」なんて反発もあるかもしれないけど、それは誤解だな。「正論」がくだらないのは「正しい」からだ。「正しさ」って誰が決めたんだろうか。誰も答えられないだろう。正しさなんてものはこの世にないんだよ。ないのに、あるように振る舞う、茶番。そんなのつまらないに決まってるじゃないか。
大森さんの話す「ほんとうのこと」は大森さんにとってのほんとうのことだ。だから、それはぼくやあなたにとって受けいれがたいこともあるだろう。
しかし、自分にとっての「ほんとうのこと」をわかっている人ってどれだけいるのか? 自分のほんとうすら捉えられていない人ばかりじゃないか。自分のほんとうの気持ちにすら抑圧的で、だから当然のように他者を弾圧する。
自分だけのほんとうを掴んだ人の言葉は強くて魅力的だ。たとえ大森さんの思考がぼくにとって違和感のあるものだとしても、大森さんの思考はほんとうだから、ぼくは聴きつづける。
先月出版された『超歌手』というエッセイ集で大森さんは「MeTooはやめましょう」「InMyCaseをきちんと表現できる人間が増えればいいな」と書いていました。「同情がいちばん怖い」とも。
同じ気持ちなんてないし、感情には正解も不正解もない。感情はただ生まれる。それをそれぞれが表現できればいい。ぼくの担当したインタビューで大森さんは「考えちゃったことは自分にとっては絶対的な正義でいいじゃないですか。考えちゃったことは、事実なんだし」という言葉で、その旨を説明してくれました。
大森靖子は「正しさなんてない」「正しいは怖い」あるいは「正しいはつまらない」という《ほんとうのこと》を我々に告げてしまう人だと、ぼくは思っている。
『クソカワPARTY』のジャケットには、ジョーカーに扮した大森靖子が佇んでいる。
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大森さんが説明するにはジョーカーはすべての言葉を操れる存在だから、それはつまり「バベルの塔」なき現代においても、すべての人類と意思疎通できる者を意味するはずだ。前作『kitixxxgaia』のリードトラック「ドグマ・マグマ」で“誰でもなれます GOD”と大森靖子は歌ったけど、それは神・大森靖子の誤謬だった。大森さんは自身が人類を高く見積もりすぎたことを知った。他者が大切にしているほんとうのことを受けいれられない人はどうしたって存在していて、もう彼らのことは相手にしてる暇もない。だから大森靖子は神から降り、死神になった。
大森さんはブリューゲルの「バベルの塔」を見たときのブログの最後に“わたしもわたしに関わってくれてる人やファンのみんなとBABELつくるんだー☺️”と書いていました。
ぼくもこのBABELに加担します。その意識でもって、インタビューに臨みました。
でも、当日、初めてまともに会話する大森さんにめちゃくちゃ緊張してしまって、ぼくはしどろもどろでしたが……。
ぼくが、このブログ「ひとつ恋でもしてみようか」にはじめて大森靖子のことを書いたのは2016年2月19日で、それは大森さん出産後初のワンマンライブの感想文だった。
当時25歳ニートだったぼくは、28歳フリーライター(稼げてないので仕事もっと欲しいです)・既婚・一児の父になった。それもこれも、いちばん辛い時期を大森靖子の音楽のおかげでやり過ごせたから。だからやっぱり少しでも恩返ししたい。青柳カヲルさんもおおたけおさんもめっちゃかっこいいじゃないですか。
レッテル貼りすることなく、創造的に書ける人になりたい。
そういえば、さっきリンクを貼った「最初から希望とか歌っとけばよかった 大森靖子「HELLO WORLD! MYNO. IS ZERO」雑感」の最後にぼくは大森さんの次のツイートを置いた。
お客さんが10人くらいの時に、いつもライブにきてくれて「ライターになりたい」と言って音楽資料を自分なりにまとめた本など作ったのをくれていた男の子が、昨日のワンマンにはじめてナタリーのライターとして来てくれて感動
— 大森靖子🌏🃏超歌手 (@oomoriseiko) February 19, 2016
このツイートを自分のブログに置いたのは、悔しかったからだ。
ナタリーで大森さんのライブレポを書いた男は、ぼくよりもずっと前から大森靖子を知っていて、ひたむきにがんばった末に、大森さんと仕事で再会した。当時ニートだったぼくはそのエピソードに嫉妬しつつも、希望として受け取った。自分もこのブログに大森さんのことを書き続けていれば、いつかチャンスは巡ってくるかもしれない。そう思えたのだった。
大森靖子さんについてはいっぱい書いてます。これからも書きます。
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