ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

わたしたち 前野健太のライブに行った日(2021年1月25日のこと)

テレビを見ると、芸人がひな壇に座っている。感染予防のアクリル板は、それぞれのコンビやトリオを隔てている。しかしコンビとトリオ自身は、アクリル板に妨げられない。2人ないし3人は、一心同体みたいに隣り合っている。その光景に違和感を抱くと同時に、羨ましく思ったりもする。「ぼくたち、わたしたち」の最小単位としての芸人コンビ(トリオ)は、この時代にはもはや個人としての「ぼく」「わたし」に限りなく近づいていて、ひとつの個体として存在を許されている。それは音楽バンドとかも同じなのかもしれない。その隔たりの無さは、覚悟でもあるのだろう。まぶしい。

 

朝、近所の本屋でドラマの撮影をしていた。電話しながら遠巻きに眺めていたら、撮影を終えたのであろう水谷豊と反町隆史と浅利陽太が出てきて、「相棒」ファンでもないのに興奮した。現場から颯爽と去って去っていく反町と水谷は、誰とも言葉を交わさず、路地に消えていった。広くない本屋のなかには、30人近くのスタッフや俳優がいて、スタッフは腕に「相棒」と刻まれたジャンパーを着ていた。

 

Instagramでは、高校時代の友人が、閉店後のレストランで同僚に誕生会を開いてもらっている様子をストーリーズに上げていた。みんなもちろんマスクなんかしてない。ケーキにささる蝋燭の火を、当たり前に吹き消す友人の笑顔がまぶしい。コロナなんて知らない並行世界に彼らは生きているようだった。

 

僕には相方も相棒もチームも同僚もいない。

 

2020年は、さほどコロナを気にしていなかった。手洗いを意識的にして、外出先ではマスクをするくらいの心がけしかなかった。それは花粉症の季節にやっていることと変わらない。秋には大学の同級生とバーベキューだってしたし、家族ぐるみで付き合ってる友人とは季節ごとに会っていた。サウナや映画館に行かなくなったのは、コロナを警戒したからではなく、金銭的に厳しかったからだ。

コロナが気になりだしたのは、杉並区の河北総合病院が非常事態を宣言してからだ。去年の2月、当時2歳にもならなかった娘が熱性けいれんを起こして運びこまれた病院。ここが今月16日に「院内での感染も多く認められる」「救急外来も止めざるを得ません」などとプレスリリースしたのを見て、コロナ罹患のリスクを念頭に生活しなくちゃならない、と悟った。僕を含めた家族の誰かがコロナに罹る危険性はもちろんのこと、別のなんらかの怪我や疾患で早急に受診や治療が必要になったとき、適切なタイミングで最善の処置を受けられない可能性が高い、という不安が迫ってきた。

今年に入ってから30〜40代の死亡事例を目にする機会が増えたのも、コロナへの不安を高めた。

 

夜、東高円寺U.F.O. CLUB前野健太を聴きにいった。
当日まで迷っていたけれど、けっきょく、早歩きで環七を南下して開演直前、ライブハウスに飛び込んだ。

サイケな壁紙と照明にドキドキする。ライブに来ただけなのに、なんだかいけないことをしている気分だ。前野健太が大声で歌う。それに聴きいる。前野は「こないだ夕陽を見てたら、つい魔がさして、音楽やめようかな」と思ったそうだ。でもその次の日には紅白のユーミン「まもってあげたい」で号泣したと言って笑う。「自分ひとりで忙しくなってるんだから、馬鹿ですよ」と自嘲する前野に、ああ、僕らはみんなそうやってゆらゆら悩みながら生きちゃってるよな、と変に勇気づけられる。

今日ここに来るのに、みなさん悩んだと思うんですよ、とも前野は語る。彼は、自分がU.F.O. CLUBなどのライブハウスでしのぎを削った若い時代を振り返りながら、また10年経ったら、今日のライブが振り返られるんだ、と言った。

 

“うしろからして 動物みたいに”と歌いはじめる「あたらしい朝」の歌詞は、サビで思いがけない飛躍を見せる。 

百年前 千年前 一万年前かの
僕のおじいさんの そのおじいさんの そのおじいさんの おじいさんの おじいさんの おじいさんの おじいさんの おじいさんの おじいさんは
あたらしい朝日を見て 何を思った

百年後か 千年後か 一万年後かの
僕のこどもの こどもの そのこどもの こどもの そのこどもの こどもの こどもの こどもの こどもの こどもの こどもの こどもは
あたらしい朝日を見れるのかな

人とのかかわりが薄まって、インターネットで無数の情報や感情ばかりに気を取られてすっかり忘れていた、もっと雄大な時間の幹みたいなもののこと。
僕らのいま生きている混乱を、「これまで」と「これから」の歴史のなかで感じること。たった2,3年の混沌は、個人の人生を決定的に変えてしまうには十分すぎるけど、長い歴史からすれば取るに足らないということ。
いまはあまりにも同時代に生きるわたしたちの感情に囚われているから、もうすこし、過去と未来のわたしたちを考える時間を増やしたい。
「あたらしい朝」を聴いて、そんなことを思った。

 

パンダには指が7本ある。
ウイルスは人間の1000万分の1の大きさ。
人間は地球の1000万分の1の大きさ。

コロナ禍の前野健太は図書館で本を読みながら、そんな取るに足らない大切なことを拾ってるという。僕はそんな前野健太の過ごし方にシンパシーを抱く。

 

観客は40人ちょっとで、ライブ時間は前後半40分で、10分の換気タイムもあった。
ライブの時間が果てしなく延びていくことでお馴染みのマエケンですら、アンコール含めて20時に終演するあたりに、非常事態なんだと実感した。

 

帰宅してもまだ20時半だったので、起きていた娘と風呂に入り、2週間ぶりに鼻の下の髭を剃って、娘の寝かしつけは妻にまかせて雑務を片付け、久しぶりに朝になる前に寝た。
動物だった頃のわたしたちは、夜ふかしじゃなかっただろう。ちゃんと朝日を見よう。