ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ワンルーム

西側のドアを開き、玄関で靴を脱ぎ、短い廊下を抜けたところにワンルームはある。ワンルームの東側には引き違い窓があり、そこを開けるとベランダに出られる。ベランダにサンダルなどの履物はなく、住民は素足でベランダに立ち洗濯物を干す。

ワンルームは角部屋で、北側の壁には突き出し窓が付いている。この小窓は内側に網戸が付いていて、住民はそれがなんとなくイヤだ。網戸は室内の埃をキャッチするのではなく、室外からの異物を拒んでいてほしい。

 

窓の話を続けると、この家のトイレと浴室には窓がない。廊下の右手には、玄関側から順に洗濯機置き場、トイレ、浴室が並んでいる。ちなみに左手にはキッチンと冷蔵庫がある。

住民はこの部屋のトイレと浴室に窓がないことをあまり好んでいない。もちろん換気扇は付いている。浴室にタオルを干しておくと翌日にはしっかり乾くので、それはきちんと稼働としている。しかし窓は必要だろうと思う。

 

彼の実家の浴室とトイレにはもちろん窓があった。風呂に入る習慣を持たずシャワーで済ませてしまう家庭だったが、冬のうんと寒い日(とはいえ沖縄の冬は本土に比べれば痛くもかゆくもない。しかし寒くないというわけではない)には、父が自ら浴槽を洗いお湯を溜めた。

風呂に浸かり湯から出ている火照った頬を開け放った窓から入り込む夜気に当て「気持ちいいなあ、やっぱり窓を開けて入るに限るな」としたり顔で言う父を見ているまだ幼かった息子は「粋だなあ」と思う。もちろん当時の彼が「粋」だなんて言葉を知っているわけはなく、かっこいいなと感じただけだろう。しかし今の彼に「粋」は了解できてるんだろうか、怪しいところだ。

幼かったころの息子は体を洗いながら湯船に浸かって「はあ〜〜〜〜」と気の抜けた声を出す父を見ていた。

 

父は自宅の庭で焚き火もよくやっていた。その家の周りは畑が多く、近隣住民も何かしらをよく燃やしていた。近所で弁当屋を営む男は廃棄する食品や弁当ガラまで燃やしており、それはさすがにひんしゅくをかっていたが、基本的には焚き火を嫌う人はいなかったようだ。

父は庭に穴を掘りそこに枯れ木を入れ、火をおこした。夏はやらない、冬だけだ。「やっぱりお父さんは冬が好きだな、北海道にでも住みたいな」とへらへら笑いながら、焚き火の中で焼いたアルミホイルに包まれた芋を食卓の上に並べた。今は東京のワンルームにいる住民は、父の持ってくる焼き芋にあまり手をつけなかったし、ましてや父の隣に座って焚き火を眺めるなんてことはめったになかった。彼は今になってあの焼き芋を食べたいなと思っている。10歳の頃は彼は焼き芋を好まなかったが、27歳の彼は焼き芋が好きだ。

「北海道にでも住みたいな」と言っていた父は寒さに強いわけではなかった。家の中にいる間父は和室にこもってテレビを見ていた。和室の畳は暖房から強烈な温風を浴びていた。他の家族が何かの用事でその部屋に入ると頭がクラクラしたものだった。

夏は夏で冷房を設定温度の限界近くまで下げて部屋を冷たくした。父は体温調節がうまくできない体質だったにすぎない。北海道の寒さはきっと焚き火なんかで紛らわすことのできるものじゃない。

 

息子、つまり今はワンルームに住む男には5歳下の妹がいる。

妹は小さいころ「パパ」のことが好きで、庭いじりをする「パパ」をそばで眺めたり、焚き火もいっしょになって眺めていた。

5歳上の兄(は今27歳で、東京のワンルームに住んでいる)は父よりも母の方を好んでいたから、「お父さんはまだ焚き火してるのっ⁉︎ 近所迷惑じゃないのかしら!」とうんざりしている母に告げ口するように「また木くべてるよ!」と知らせた。

庭は1階ガレージの横にあり、2階のダイニングルームの窓からは焚き火をしている父を見下ろせたのだ。窓辺に備え付けられた1メートルくらいの高さの棚に座り、庭で焚き火をする父と妹を盗み見、キッチンで食事の用意をする母と喋っていた彼は今27歳で、東京のワンルームマンションで暮らしている。家賃は実家の父に払ってもらっている。彼は未だに自力で生計を立てられていない。

 

お風呂が嫌いだった彼は今では銭湯に行くようになり温冷交代浴に勤しむようになったし、焚き火を恋しく思っている。

 

次に住む部屋の浴室とトイレには窓が付いているといいな、と彼は考えている。