ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

すいかは祭り

 

 

 

ということでちょっと前にすいかを食べたので、そのことを書く。

 

 

ひとり暮らししてるとすいかなんて食べない。すいかどころか果物全般食べない(すいかは野菜とか言うのはナシでいかせていただきます)。
果物って、野菜ほど必要不可欠という印象がなくて手に取らないし、かといって甘いお菓子と引き換えに手を伸ばすかといえば、そんなこともない。糖分摂りたいなら、クリームたっぷりのコンビニに売ってるペラペラロールケーキ買えばいいじゃないか、と思ってしまう。スイーツのほうが割安に思えるし。


ところで、最近は飯もそこそこに酒を飲むことが増えたのだけれど(酒でお腹が膨らむから、というより、酒を買うと、食事にかけるお金がなくなるのだ。とはいえ、酒を飲んでいない時間に炭水化物でお腹をふくらませておくので、一時期より太っている)、缶チューハイコーナーで、梨味のサワーを見つけた。
梨って秋が旬なのに、発売されるの早くないか? と思った。ファッションじゃあるまいし。季節先取りしてどうするんだ。暦の上では秋とか言うなよ、と思いながら、けっきょく俺は梨が好きなので買ってしまった。
そこでふと思う。さいきんの俺は梨そのものよりも、梨味のサワーを飲むことの方が多いんじゃないか、と。でもまあ、それは良いとしよう。秋が来てから梨を食べれば良いのだから。
でも今年の俺は、すいかすらまだ食べていないのだ。すいかプラス塩味のファンタは飲んだ、スイカバーは食べた、おまけに「杏仁かけちゃいました」のスイカバーも食べた(チョコかけちゃいましたの方がうまかった)。でも、すいかそのものはいちども口にしていない。
このことに気づいて、なんだかとてもわびしい気持ちになった。自然の食物の味を再現した加工品で季節を感じるなんて、どんなに舌を喜ばせる刺激だとしても、味気ないではないか。


で、冒頭のつぶやきとあいなり、こう言われ、

 すいかを食べる決心をする。

 

翌々日、2000円を握って最寄り駅そばの八百屋さんにはじめて行った。どうせなら、たとえスーパーより割高だとしても、八百屋で買った方がなんか良い気がした。八百屋の隣にある本屋さんで立ち読みすることはよくあるのだけれど、立ち読み中に気が散るほど、八百屋のおばちゃんの客引き声はでかい。いつもは憎たらしいその声を一身に受けて、八百屋の前に立った。
すいかは店先に並んでいる。どうやら店奥にも別の産地のすいかがあるようだったけど、料理もろくにしないのに八百屋をうろちょろするのは気が引けて、店先にあったすいかを引っつかんでレジに持ってった。一応、すいかを叩いて音を確認したり、へそが小さいほうが美味だなんて聞いたことがあったからひっくり返して確認したりした。でもなんだか恥ずかしくて額から汗が出た。
そのすいかは1200円だった。レジで気づいた。そういえば産地も確認しなかった。緊張していたからだ。
帰りに振り返ってチェックしたら山形県産だった。
カットされたすいかを買うのは癪だったから、無職のひとり暮らしだけれど、すいか一玉買った。まるまるのすいかを買う俺を見ておばさんはこれを俺がひとりで平らげると思っただろうか。数多のお客さんを迎えてきた店員さんは、いちいち何も思わないか。


すいかはしたたか重かった。何年か前に抱いた、生まれたばかりのいとこより重い気がした。そんなことはないはずだけど。
すいかを最後に持ったのはいつのことだろう。多分、中学生時代、部活終わりに迎えに来てくれた母の車に乗せられそのままスーパーへ行き、すいかを買ってもらった以来だろう。多分。そんな具体的な記憶はまったくないが、多分そう。

右手から左手に、左手から右手に、持ちかえながら商店街を抜け、家へと帰った。


すいかはでかかった。冷蔵庫の棚を二段下げてその上に置き、冷やした。


冷えたすいかを切る。真っ二つにして、まず左側を片付けることにした。右側はラップして冷蔵庫に戻す。


ずっとやりたかったことをやってみる。すいかの真ん中だけ、甘さが凝縮されているらしいところだけをスプーンですくって食べる。ボーリング調査するように、まっすぐ中心から皮に向かって掘り進めながら食べていく。
確かに甘い。
でもぜいたくをしているという感覚だけが強くて、すいかの甘さは心動かすほどではない。もしかしたら、台所に立ちっぱなしで真ん中食いをしているから、心踊らなかったのかもしれない。立ったまま食べるとどうしても気が急いてしまうものだ。急いでいるから立って食べるというより、立って食べるから急いでしまうという感覚が俺にはある。早く食べなくては、早く底までたどり着かなくてはと思ってしまう。
2分の1すいかをお皿に乗せて、ワンルームに持ってってテーブルの上で食すという発想がなかったわけじゃないが(事実、すいかを切る前にテーブルを綺麗に拭いてさえあった)、横着してしまった。


実家で切られたすいかを食べるときには、家族4人、代わる代わるに台所の流し前に立って食べたりしていた。
いつかの時期までは、2階にあるダイニングルームの窓辺に座って下の庭に種を飛ばしたり、ダイニングテーブルに折込チラシを敷いて汁を滴らせるのもかまわず種もダラダラこぼしながら食べたりしていたけれど、手から肘を伝ってくる果汁をすぐ洗いたいから誰からともなく流し台で食べるようになった。


なんで俺はすいかが好きだったんだろう。いまのいままですいかを好きだと思ってきたけれど、今回自分で買ってきたすいかを食べながら、このとらえどころのない味と食感の果実をなぜ好いてるつもりだったのか、ぜんぜんわからなかった。


真ん中をほじり尽くしたすいかを真っ二つにして4分の1に、4分の1を真っ二つにして8分の1に。そしてふたたび食べはじめる。
噛んだそばからつぎつぎと水分に変わっていく果肉は、口のなかをたっぷんたっぷんにする。真ん中をくり貫いて食べるときよりも、口の中にいちどに入れる果肉の量が多いから、噛むごとに口内が果汁でいっぱいになる。それを味わうより先に飲みこんでしまう。赤い汁のなかから黒い種ときどき白い種を選り分けて上手に口から出すのはなかなか難しいから、だらしない俺は種の5,6割は飲みこんでしまう。

けっきょくその日は8分の3のすいかをひとりで食べた。もちろん腹をこわした。覚悟のうえだったから問題はない。しかし、その代償と引き換えに味わえた幸福は、割にあわないような気もした。


たしかにすいかはうまいはずなんだけど、何がうまいのかよくわからない。
ふと思う。すいかは、一玉まるまる買ってきたお母さんが「すいかあるよ」って言うときにぶち上がる、お祭り感込みでうまかったのではないか、と。というか、俺はすいかに「うまさ」以上に「楽しさ」を求めていたのかもしれない。
「すいか割り」というイベントが象徴するように、すいかはお祭りなのだ。だから、すいかを語るうえで大切なのは、すいかそのものの味とか食感とか香りとかそういうものよりも、すいかを食べたときの思い出なのだと思う。


でっかいすいかを買ってきてたくさん切っておきながら「食べ過ぎたらおねしょするよ」という母の理不尽な言葉、その言葉に逆らったあげく本当におねしょしてしまった幼い俺、ピザのように切り分けられたすいかの真ん中の甘いと言われる部分を食べていいよと言ってくれる父、白いTシャツの襟元を赤でべちょべちょにする下の兄弟、すいか割りのときだけヒーローになれた冴えないアイツ……。
そんな思い出がないとすいかは楽しくない。

 


とはいえ俺は、ひとりで開催した「お祭り」をそれなりに楽しんだらしいことが、カメラロールからわかる。

 

 

 

f:id:massarassa:20160902133143j:plain冷蔵庫で冷やされるすいか。

 

f:id:massarassa:20160902133206j:plain冷蔵庫に眠るすいか(ドア棚に置いたスマートフォンをタイマーセットして冷蔵庫を閉じた状態で接写)。

 

f:id:massarassa:20160902133416j:plain汗をかくすいか、瑞々しい。

 

f:id:massarassa:20160902133714j:plainすいか、別角度から。首をかしげたようでかわいらしい。

 

f:id:massarassa:20160902133758j:plainすいか2分の1断面。種は少なく鮮やかな赤が期待を煽る。

 

f:id:massarassa:20160902134029j:plainすいかの核を食らった後。照明のぐあいで虫食いの植物のようにも見える、ちょっとこわい。

 

f:id:massarassa:20160902134433j:plainすいか空洞部接写。蠱惑的蜜壺。

 

f:id:massarassa:20160902134700j:plainすいか4分の1。中心を食らったあとに切ったけれど、折りたたんだ紙を切って開いた時のようにおかしな形にはならず、少しがっかり。

 

f:id:massarassa:20160902134908j:plainすいか8分の1×3。この日食べると決めた3つを並べる。

 

f:id:massarassa:20160902135043j:plain1切れ食べて……

 

f:id:massarassa:20160902135118j:plain2切れ目、3切れ目は一気に食べている。2切れ目を食べ終わったところで写真を撮るのを忘れているところから、必死で食べたことを思い出す。味わってなどいなかった。

 

f:id:massarassa:20160902135403j:plain
たくさんの思い出。

 

 

1200円払って、まあそれなりに楽しんだ。
翌日の昼8分の1を食べ、夜に右半分をそのままスプーンでテキトーに食らい、翌々日も少し食べたが完全に飽きてしまい、いつの間にかぶよぶよになって腐った。シンクにぶよぶよの半分を放置していたら、すこしコバエがわいた。

 

 

 

すいかを食べたのは8月21日で、この文章はちまちまと書き進めていたのだけれど、だいぶ遅い報告になってしまった。季節はもう秋に近い。今年の残暑はキツいというけれど、いまのところ、連日の猛暑日を経ての真夏日は過ごしやすいから、季節は確実に秋に近づいている感じがする。

 


食べたから書いた、というよりは、書くために食べてしまったのもあって、味わうことを忘れていた気がするけれど、今年の夏はなんとかすいかに間に合ってよかった。
来年の夏は、誰かとすいかをお祭り気分で食べられたらいい。
すいかを食べてなくても、すいかを食べてもわびしい気持ちになってしまうのはもったいない性格だなあ、とも思う。(4221字)