ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ニートの老婆心 ブログで稼ぐってヤクザな商売なので自慢しない方がいいのでは?

社会人やったことないんでよくわかんないんですけど、じぶんの収入を全世界に発信しちゃうかんじ、やばくないですか。


母が父の収入をおれに教えてくれたのは中学卒業のとき。母がそうしたのは、おれもようやくある程度の分別がつくようになり、父親の年収を知ったところで友達にべらべら喋っちゃったりはしないだろうっていう彼女と父の判断があったからだと思います。小学生のころから「お父さんはいくら稼いでるの?」ってよく聞いてたから、両親はいつ言おうか、真剣に考えていたんでしょう。
あと、父が毎日働いた結果これだけ稼いでるんだよって教えることは、教育にもいいじゃないですか。「ああ、お父さんってすごいなあ」という尊敬にもつながるわけで。まあ、おれの場合は「そりゃあ好き勝手やってんだからそれくらい稼いできて当たり前だろ」なんて最低なことを思ってしまったわけなんですが。
結果いまでも親のすねかじり倒してるんですけど。その結果父が倒れたらおれも共倒れなんですけど。
そうです、おれは、ニートです。



ブログ収益を公表するお金持ちのことが嫌いなんですけど、それって多分、アウトサイダー的な生き方をしているのにも関わらず、その成功を誇るために、お金というもっとも社会的な尺度を引っ張ってきちゃってるという矛盾が、すこし気持ち悪いからなんですよね。
それに、いくら稼いだか、よりも、稼いだお金をどんなふうにうまく使ったか、の方が個人的には興味がある。そのさまを見せるだけで、読者は彼らがどのくらい稼いでるのかある程度想像できるし。
収益を垂れ流しする以外にも、成功を誇示する方法はあるはずなんです。それなのに、稼いだ金額を直接的に提示する意味がわからないんですよ。どういう意図があるんだろう。



さいきん勝新太郎の『座頭市物語』を見ていたら、いいセリフがありました。

俺達ヤクザはな、ご法度の裏街道を行く渡世なんだ。いわば天下の嫌われ者だ。 それだけに、何事も渡世の筋目を通さねえとならねえんだ。
それなのに、おまえたちは(俺と同じヤクザなのに)、お天道様に大きな面見せやがって大手を振って歩いてやがる 大ばか者だ。

 

ブログで稼ぐってのはいわばヤクザな商売で、それなのに大手を振って歩くなんてのは明らかに筋目が通ってないんですよ。
毎日毎日汗水垂らして働く人や、毎日毎日決まった時間にちゃんと出社して決まった時間に退社できないような人たちに対して、ヤクザな人たちは頭を垂れなくてはならんでしょう。
ブログで100万円稼いだひとは、その成果を声高に叫んでいたらダメですよ。彼を見て、「大ばか者」だなあって、おれはいつも思ってます。



しかし、この「大ばか者」ということばは当然、ニートである自分自身に翻ってくる。つまり、ニートのくせに、親のすねかじってるくせに、月100万円稼いで自立しているやつを捕まえてえらそうに意見してんじゃねえよって話になるでしょう、が、それは全然かまわんのですよ。
だって、おれは、彼よりもおもしろい文章を書いているという自負があります。ひとがどう思うかはしらんけど、少なくとも、おれにとってはおれの文章の方が彼のよりもおもしろい。だから、こんな戯れ言を言えるわけです。そこに関しては自信がある。根拠のない自信、と言われてもしょうがないですが。

 

自信だかうぬぼれだか知らんけど、とにかく、そういうことは自立してから言いな、って助言はあるでしょう。でも、おれが言いたいのはやっぱりそういうことじゃなくって、ただただ、なんであんなつまんねえ文章で月100万稼げて、しかもなんでそれを恥ずかしげもなく自慢してんだよ!ってことで、ようするに、おれがニートであることとは関係なく、なんだか歪な世界だなあっていう、素朴な実感を話してきたに過ぎません。


この素朴な実感、稼いでいる者へのイラ立ちは、じぶんの現在がうまくいってないことと全く無関係かといえばそれは否定できません。
ただ、やっぱり稼ぎを世界に公表するのはやめた方がいいんじゃないかなあ、と老婆心ながら言いたいですね。


じぶんの心配しろって話ですが……。




後半、人称代名詞が「彼ら」から「彼」になってますがそれは、つまり、そういうことです