ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

疲れている(2016年6月11日)

下書き保存を読み返してたら、今とそんなに気分の変わらない文章を見つけたので、投稿する。

 

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賞味期限の5日切れた生卵が4個あったので、じっくり焼いて平べったい卵焼きをつくって、酒のつまみにした。酒はこないだ買って少し飲んだっきり、冷凍庫にほっぽっておいた180ml容量の瓶に入った安いウイスキー。ラッパ飲みするとき霜は溶け、水滴はフローリングに落ちる。


酔っぱらった勢いでタイピングしたらあっというまに3000字超書けた、んだけれども、あまりにもパーソナルな話題だったので、すんでのところで下書きに置いた。1円にもならないのに、己の身を切ったり家族のことを話したって、しょうがない(いままでこのブログに書いていたことは自分の基準では不特定多数の人々に言ってもいい範囲のことだったつもり)。

 

俺が大学2年の頃までは、おもしろい話に対して「オマエそれ『すべらない話』いけるよー」みたいことを言ったり言われたり、それは当然のように褒め言葉として投げかわされていたのだけれど、いまはどうなんだろう(もちろん、俺がかつて話していた「すべらない話」をいくつか思い出してみたところで、それは完全に内輪ウケのどーしょうもないものだ)。
もしかしたら最近はおもしろい小咄をいくつか持っている奴より、一発芸をいくつか持っている奴の方が強くなっていて「オマエそれVineにアップしたらバズるぜ!」みたいなことになっているのかもしれない。ひょっとしたらVineすら時代遅れかもしれない……。時代がわからない。何がおもしろいのかわからない。

 


何がおもしろいのかわからないのと同じように(?)、何を腹立たしく思えばいいのかもわからなくなってきている。
ベッキー不倫騒動を執拗に追いかけるマスコミがおかしいのは感覚的にわかるけれども、この現象に対して逐一ツイートする人たちと同じようにマスコミを糾弾するほどかっていうとそんなことないし、舛添さんのアレコレも、東京都の長にちょっとした贅沢もさせられない我々の現状がそもそも問題なんであって、舛添の人品とは関係ないんじゃないか、と思ってしまう(そう思えるのは、都に満足にお金を払えていない無職だからなのかもしれないが……)。
怒らなくてはならないことも世の中にはたくさんあるとは思うのだけれど、そういう話とは別に、そもそも怒ることすらできないニートの僕は、人間として完全に去勢されてしまった生ける屍なのかもしれない、と少し不安になる。とはいってもやっぱり、いろいろな問題に噛み付いている人たちを見ていると、なんでそこまで怒ってるんですか?と聞きたくなってしまう。


怒りは、自分が当事者になったときに沸き起こる感情であるようにおもう。問題が我が事になったときに沸騰するむかつき。権利主張のための怒り、プライドを守るための怒り、自分や自分の周りの人間を守るための怒り。
しかしそういう怒りとはあんまり関係なく、現代に生きる俺たちは、あらゆるニュースが毎日目前に提示されて、当事者になるか否か、という判断を都度都度つきつけられ、疲弊しきっているようにおもう。
そして僕はそういう疲れる状態から逃げてしまっているだけなのかもしれない。逃げれるところまで逃げよう、と。

 

 

なんだかえらく疲れている。何にもしていないのに疲れている。
何にも興味のあることはないし、かといって死にたいわけじゃないし、できればしあわせになりたいのだけれども、これといったビジョンも描けないうえ、何をしている瞬間が自分にとって救いになるのかも分からない。ただ、痛いこととか苦しいことが嫌だなあと思うだけで、でも、未来に起こりうる痛いことや苦しいことを想像して、いま、動く、という決断もできない。
自分が何を欲しているのかわからない人間がいちばんクズだって、大学時代さんざん友人と話していたのに、最後に話したときから2年近く経っても、俺はまだいちばんのクズのまんまだ。