ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

雪合戦禁止法

 

「雪合戦禁止法」を見て、やさしい気持ちになる。詩的なフレーズだと思った。

そもそも「合戦(かっせん)」は「敵味方が出会って戦うこと。戦い。戦闘」という意味の穏やかでない言葉だが(小学館 精選版 日本国語大辞典)、そこに「雪」の一字がかぶさると児戯に変化する。そんなふうに倒錯した「雪合戦」なる語は、「禁止法」とくっつくことで、さらに転倒させられる。子供の遊び「雪合戦」をいちいち大人が禁止したうえに「法」制化するなんて滑稽を通り越してもはや愛おしい。この字面を見ただけで、胸のあたりが雪解けするほどにあたたかくなってしまった。このニュースが伝えるところの「雪合戦禁止法を少年が弁舌で覆した」あたりは正直どうでもいい。

 

ところで、俺は雪合戦をしたことがない。禁止されていたわけではないし、友だちのいない悲しい幼少期を過ごしたから、というのでもなく、故郷の沖縄に雪は降らなかった。沖縄から出たことのない少年にとって雪は、内地からはるばる運ばれてくるか、人工で生み出されるものだった。小学生のころ一度だけ、ホームセンターの大きな駐車場に作られた雪広場に連れていってもらったが、そこの雪は氷に近い硬さをほこっており、雪合戦どころではなかった。でも、はじめてみる白銀に心踊ったものだ。半袖半ズボン姿で触れる雪。

 

上京して最初に雪が積もった日はとても興奮したことを覚えているが、春休みだったのでひとりきりだった。ベランダに積もった雪をかき集め、小さな小さな雪だるまをつくり、できあがったそれをケータイのカメラで撮り、その画像を沖縄の母に送った。大学の友人たちにとって雪なんて珍しくないからその興奮は共有できないし、沖縄の友だちとはなんだか連絡を取りたくない時期だった。大学一年生の俺はそんなもんだった。

 

部屋からわざわざ外に出て、アパート前の植込みから拾った石ころと木の枝でだるまの顔に表情をつけ、部屋にあった錆びたハンガーを折ってだるまの胴体に腕を生やした。20歳にして、生まれてはじめてつくった雪だるま。手袋なんか持ってなかった俺は(さらにいうと、マフラーを巻いたこともなかった)、素手で雪に触れつづけて、手はしびれきっていた。しびれる指で、母にメールを打ったのだろう。

 

雪だるまはひとりでもつくれるが、合戦はひとりじゃできない。「敵味方が出会」う必要があるから。俺は一体いつになったら雪合戦するのだろうか。禁止されているわけでもないのにやったことのない行為が無数にある。