退屈
「退屈」が分からなかった。というか、俺みたいなだらしない人間が「退屈だ」なんて言っちゃいけないと思っていた。俺には「退屈」が贅沢なシロモノに見えた。自分の「退屈に思う気持ち」を見ないフリをしていた。俺に退屈はもったいない。
この世の中、図書館で本は借りられるし、Apple MusicやらSpotifyでほとんどタダ同然に無限のような数の音楽が聴けるし、映画やドラマだって一生かかっても見られない本数がNetflixやらアマゾンプライムなんかで安く見られる。
旅行だって昔よりだいぶ手軽に行けるわけだし、退屈を感じるなんてことあるわけないんだ。たのしいことはたくさんあるはず。
たくさんのたのしいことがある、今日の遊びの選択肢は限りないのに俺がつまらない日常を送っていたのは、単に俺が怠け者だからだと思っていた。
「退屈だな〜」なんて言ってるヒマがあったら動くべきなんだ。俺が能動的に動けば、この世界は熱中に値する。でも俺がこの世界の芳醇さを知らないのは、ひとえに俺がだらしないから。世界は豊かだと信じていたし、俺はだらしなくつまらない男だと卑屈になっていた。
しかし俺は自分の感じてる退屈さをもっと大事にした方が良かったんじゃないかと今は思う。
人は、退屈だから何かに熱中しようとする。退屈から逃走するために熱狂を求める。
退屈と向き合わなかった俺は、自分自身が退屈な人間になっていったように思う。
映画を見たって、音楽聞いたって、本読んだって、旅行行ったって、知人友人と酒飲んだって、退屈なんだ。なんだか胸の奥が無性にかゆい。かきむしりたい。でも喉に手突っ込んで掻くわけにもいかない。そんな時はこの部屋でひとり大きな声を出していた。カラオケルームでひとり絶唱していた。それでも俺は「退屈だ」と思わないようにしていた。
でもやっぱり世界は退屈だ。だから俺は毎日毎日書くし、叫んでいる。このブログは退屈から始まったんじゃないか。