ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

上野顕太郎『さよならもいわずに』感想文

さっきまでふつうに生きていた最愛の妻が突然死ぬ。遺された幼い娘と共に、男は絶望を味わう……。

そう書くと、とても「ありきたりなドラマ」に思われるかもしれないが、これは作者・上野顕太郎の身に実際に起こった唯一無二の人生の話だ。

 

ひとりの個人にとって身を引き裂かれるような酷いリアル、しかしそれは他人にとっては「よくある話」だ。たくさんある不幸話のひとつ。

目の前にいる友人や同僚に「実は俺の奥さん突然死んじゃってさ」と言われれば、「つらいな……」とひとことかける。隣にいてやって少しでも慰めになれないかと親身にもなる。しかし、そんな話を知らない人間にされても、まさに他人事に過ぎない。戸惑うばかりだ。

この《他人事》をどうやって見知らぬ読者に突きつけるか。ひとりのマンガ家が妻の死という現実を作品というフィクションに結実させようとした時、そこには並大抵ではないプレッシャーがのしかかる。それでも彼はそうせずにはいられなかった。なぜなら上野はマンガ家であり、そして亡くなった妻を愛する男だったからだ。

 

そのプレッシャーと闘いながら描いた『さよならもいわずに』はやはり壮絶だ。

喘息持ちだった妻は、2階で夫が仕事をしている間に、発作に見舞われてうつ伏せに倒れてしまった。夫が1階に降りてきた時には既に事切れていて、だから後は葬儀まで決まりきった段取りに合わせて男は見送りの準備をするしかない。自宅で死んだ場合は警察による実況見分が行われる。男は発見時の妻の様子を伝えるために、死んだ妻がそうしていたのと同じようにうつ伏せで横たわらなくてはならない。

 

《キホちゃん》と《顕太郎さん》、そして娘の《カリン》に起こったたったひとつの決定的な出来事に作品としての固有性を与えるために上野はペンを走らせている。マンガ家として身につけた技術、知識、アイディアを全て詰めこんだ上で、顕太郎個人としてのひとりよがりに陥ることなく、キホちゃんの死を作品に結晶させるために奉仕している。人の死を過不足なくパーフェクトに作品にする。その情熱というか意地というか……執念。まさに顕太郎個人の執念が、上野顕太郎というマンガ家の持てるすべてを引き出し、この一冊に集約させたのだろう感じられる。とにかく絵がすごいのだ。

 

晩年のキホちゃんを写したインスタントカメラを現像に出した帰り道、道行く人たちを見ながり「一体何故、何故キホが⁉︎  何故あなたではなく………」と顕太郎は思う。その言葉は縦横7×10計70コマの見開きにずらっと描かれた人々の顔の上に乗る。この悲痛な、声にならない叫び。大切な人を突然亡くした時、誰もが思ってしまうであろう言葉。70人の見ず知らずの老若男女がひとりひとり丹念に描かれているからこそ、「一体何故」という問いにならない問いが重く響く。理由や答えなんてないのに、そう問わずにはいられない。

 

キホちゃんをたったひとりの、この世に生きた最愛の人として描くために上野はささいな描写を重ねていく。風呂に入ろうとすると着いてきて「ウヒヒヒヒヒヒ、いいシリしてまんなー」と言って浴室を覗くキホちゃん。喘息だから減らしていた煙草の量が最近また増えていたキホちゃん。お酒も煙草もこれからは減らすようにすると反省するキホちゃん。テレビゲームの楽しさを教えてくれたキホちゃん。

ふたりの間でしか使われない「サパリー、サパリー、サパリー夫人」や「生ちちいい?」という言葉や、同じベッドのなか「愛はあるよ」と言い合って背中を向けて寝る習慣。そういうディティールが丁寧に描かれることによって、「愛があった」ことを作品に刻む。

 

美しいことばかり描いてあるわけじゃない。キホちゃんの鬱の波がぶり返してきた時、顕太郎が「こまったな やっかいだな めんどうだな」と思ってしまったことも上野は書いている。負の感情も描くことで、作品に深みが出ている……のではなく、現実はいつもそういうものなのだ。美しい愛があり、言えないような醜い感情の動きもある。それをそのまま描いているだけなのだ。そして現実をそのまま描くのは恐らくとても困難なのだ。

 

最も印象に残るのは、顕太郎が見た生前最後のキホちゃんの表情だ。もともとまなじりが下がり、眉が八の字に寄った困り顔のキホちゃんだが、この時の彼女はとにかく悲痛な表情で描かれている。最後の表情は決して穏やかではなく、ただただ痛ましかった。

 

しかしだからと言って、キホちゃんの人生が不幸だったわけではない。それはこのマンガを読み通せば分かることだ。ひとりの女とひとりの男が愛し合った固有の人生が確かに描かれている。

 

 

俺はおととし母を亡くした。このブログにも母の想い出を何度も書いた。しかしそれらの文章はせっかく読んでくれた人にとって結局《他人事》としてしか読まれなかったのではないか。今でもああやって書き連ねてきたことが正しかったのか分からない。ただ、書かずにはいられなかったことは確かだ。でも自分にとって「ほんとうに大切なこと」ならば、あんな風に書いてはならなかったのではないか。この圧倒的なマンガを読んだ後、そんなことを思った。

 

 

さよならもいわずに (ビームコミックス)

さよならもいわずに (ビームコミックス)