ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

早く死なせたほうがよかった

いっしゅんでも、もう死んでいいよ、って思ったのは、いまでもかなしい。人は、腹が減りすぎたり、眠れない日が少し続いたりするだけで、それが現時点で5本の指に入るような大切な人だとしても、どうせあと何日かで死ぬんなら、もうずっと起き上がれないなら、いま死んでよって言ってしまうもんなんだよ。
無意味な時間だった、どうせ助からない人を機械につないで無理やりこっちに繋ぎとめるなんてエゴだった。お通夜だってお葬式だって、初七日だって四十九日だって、ほんとうはいらなかった。それは彼らのためで、おれらのためだ。あなたはもう死んでいるのだから、ぼくらがどんなに想ったって意味はない。
盆の度に呼んではすぐに帰して、やっぱり生きている人の勝手。意味があると思ってやっているんならなおさら。だったら、一年くらいここにいたら、くらい、言ってみたらどうなんだ。
あなたのことを忘れない、なんて言わないと私のことを忘れてしまうような人間たちには、覚えててもらいたくないな。あなたのことが忘れられないのって言えよ。

悲しみ方を探している。綺麗に塗られて日の浅いペディキュアを見つけて、涙を流す。生きている頃は彼女のサンダルの先にあった水色を綺麗とも汚いとも言わなかったくせに、いまさら遅いね。

もう死なせていいんじゃないですか、と言ったら怒られた。意味がわからなかった。たぶん怒った人も、おれがなんでそんなことを言うのかわからなかったから怒っちゃったんだろう。
すぐに死なせなかったせいで、おれは、倒れた日を命日だと勘違いすることがある、まだ間もないのに勘違いするようじゃ、10年後には命日が変わってしまう、あいつがなんで怒ったのか、やっぱりわからん。

じき死にます、と言った口で、なんでいま死なせるんですか、とおっしゃる。
いま死なせないと、早く死んでって思っちゃうからじゃない。おれはそうなる予感がしていたんだよ。おれが早く死んでって思っちゃったのは、あなたがまだ生きている時で、だからかなしい。ケンカしたときの死ねよと瀕死の人にかける死んでいいよは雲泥の差。