子供が酒を飲んでいる
いまこの瞬間を楽しむ、ということは、快楽主義的に思われて否定されがちだけど、じつはとても難しいことなんじゃないかと思う。なぜなら人間は、過去にとらわれ、未来におびえるからだ。年を取るごとに人は、いまこの瞬間を楽しめなくなっていくものだ。過去のあやまちが増えていき、未来の終焉が見えてくるから、いまは楽しむものではなく、過去と未来を見つめることに費やされてしまう。若いうちは過去のあやまちは少ないし、そもそも自分の行為があやまちだったかどうかもよくわかっていない。そして未来はまだ試されていない可能性のスポットライトによって、まっすぐにまばゆく光っている。だから、子供はいまこの瞬間を楽しめることが多い。もちろん憂鬱なやつもいただろうが、それは過去と未来のサンドウィッチで窒息しそうだというより、いまがひたすらつらいだけだろう。そういうやつは、未来に希望をたくす。未来も見えなくなると首をくくってしまうんだろう。それはかなしい。
過去と未来に板挟まれて苦しい子供じゃない人間は、息をするために酒を飲む。飲まないとやってらんくなる。酒は、方向感覚よりも先に、時間感覚を強烈に揺さぶってくる。自分に適切な量を飲用できれば、彼にとって時間はいまだけになるはずだ。いまを永遠に続けたくなって飲み過ぎると、たちまち過去に襲われるが(個人的に酒を飲んで未来を不安に思ったことはない気がする、いつも後悔にまみれてしまう、そもそもその吐き気をもたらした飲酒という直近の行為に対して後悔するのだから)、少なくとも酔いはじめたころは、ひたすらにいまが陽気に感じられることだろう。
年を取った人間が、いまこの瞬間を楽しむためには、酒かなんかで時間の感覚を麻痺させなくちゃいけないことが多い。酒も飲んでないのにやたらと楽しそうに生きているやつがいたら、そいつはきっと過去のあやまちと事あるごとに向き合ったり未来のために努力を欠かさなかったから。あるいは、ドラッグをキメているかだ。
最近、食事はそこそこにして、酒を飲む日が増えた。もともとアルコールに弱い体質ではないから、過去と未来を忘れるために必要とする量が増えてきている。こうやって体をぶっ壊し、死ぬまで苦痛を抱えるいまが連綿と続いていくようになっちまうのだろうか。
そして、俺はまだ子供だ。子供が親の金で酒を飲んでいる。憂鬱な子供のようにいまがつらく、そして過去のあやまちが重たく、未来の可能性もない。そんな図体だけはでかい子供が酒を飲んでいる。