ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」を聴く

深夜、遠くに踏切の音聞こえる。妻の寝息、猫の毛づくろう音、そしてフリック入力する指が布団カバーを擦る。

 

仕事に慣れていないから、少し働いただけですぐに心が荒んでしまう。でも、書く仕事をさせてもらって初めて気づけたいいことがある、おれは書くことを汚されたくないと思っているらしい。ほんとうのことをいつか書けるようになりたかったから、たぶん、書くことを仕事にしてみたいと思った。しかしそれは間違った選択だったかもしれない。書いて稼ぐことと書いてたどり着くことはぜんぜん違う。自分を守り、家族を守るために、おれにはなにができるのだろうか。やるべきことをやる。暮らす。

 

ひと段落して寝ようと思い、ハミガキをくわえながら眺めていたツイッターで、小沢健二の新曲「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」が配信開始されていることを知り、すぐさまついさっき巻いたイヤフォンをほどき、iPhoneに挿し再生した。オルガンの音、ギターのアルペジオ小沢健二のやさしくつよく言葉をなぞる歌声、それぞれの音のバランスを崩壊させる寸前のベース、打ち込みのリズム、たゆたうストリングス、そして吉沢亮二階堂ふみの訥々とした声を聞いたとき、ハミガキしながら泣いてしまった。ふたりの実在が圧倒的で、なんだかおれの方が嘘みたいに感じられる。吉沢亮二階堂ふみは歌のなかで生きている。

口をゆすぎハミガキを置いてから、また何度か聴いた。やっぱりこのベースはどうかしてる。ハラハラする。とてもやさしく穏やかな歌のはずなのに、体は揺れてしまう。

 

歌詞もすごいのかもしれないけど、まだそこまではよくわからない。

「本当の心は 本当の心へと 届く」という言葉に勇気づけられる人間になりたい。「本当の言葉をつむいでいる」と言えるようになりたい。返事じゃない言葉を喋りたい。

 

1時間くらいつづけて聴いてたら、「アルペジオ」はもうずっと昔から何年もあった歌のように思えてきて、でも確実にいまの楽曲で、時間がゆがむ。

 

踏切の音いつのまにかやんでいた。明日は早起きだ。猫も妻もすやすや眠っている。感傷的になってしまった。

死ぬとき「アルペジオ」が脳内で流れるといいな。

眠る妻にもはやく聴いてほしい。