ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

子供の勘違い

「どうしておなかがへるのかな/けんかをするとへるのかな/なかよししててもへるもんな/かあちゃんかあちゃん/おなかとせなかがくっつくぞ」(「おなかのへるうた」)

 

小さいころこの歌を聞いて歌ってた僕は「お腹と背中がくっつく」のフレーズの意味を誤って捉えていた。腹の皮膚と背中の皮膚が餅のように伸びて伸びてくっつき、ドーナッツのような輪を人の傍らに作り出すんだと思っていた。

本来は、腹が減りすぎて体が平べったくなることを「おなかとせなかがくっつく」と表現しているわけだが、子供のころの僕は「おなか」といえば、じぶんのこの目に映るおへその空いた皮膚であり、「せなか」といえば、背もたれに触れる皮膚のことだと思っていた。だから腹が減りすぎると人間のおなかとせなかの皮膚は(なぜか)だらだらと伸びだし、くっつくのだと思っていた。

また、腹が減りすぎてお腹と背中がくっつくようなひもじい思いをしたこともないから、歌詞が実感できなかったことも勘違いの理由だろう。僕は飯には十分恵まれていて、だから、体がぺったんこになるほどの空腹を味わったことはない。歌詞が実感できるわけはなかった。

人生でもっとも腹が減ったのは中学3年生の冬、サッカー部の練習試合でのこと。ゴールキーパーだった僕は午前9時から午後6時まで、全7試合ゴール前に立ち続けた。その日僕以外のキーパーは負傷やら体調不良やらで試合に出られず、代わりに僕が1軍、2軍の試合すべてに出た。細かい休憩時間はあったが、飯を買いに行くヒマもなかったため(誰かに買いに行ってもらうのは気が引けた)、ほんとうに何も食べずに試合に出続けた。あの日はほんとうに腹が減ったのだが、帰宅後は疲れ切っていてけっきょく何も食べずに寝てしまった。

「少し休憩させてください」とひとこと言えればよかったんだろうが、そんなことを言ったら監督は怒るだろうと、僕は勝手に考えていた。だから、「まだいけるか?」と聞かれて「いけます」と言い続けた。

 

 

子供は勘違いするもんだ。

僕は小さいころ、自動車はウインカーを出さないとハンドルが回らないと思っていた。ウインカーを出すとハンドルが回るように設計されているもんだと思い込んでいた。

ある日急ブレーキを踏んだ母が「バカヤロウ!ウインカー出せよ!」と怒鳴っているのを聞いて「ウインカー出さなくても車って曲がれるの!?」とはじめて気づいたのだった。怒る母親にその気づきを報告したら、母は笑顔になった。

 

 

子供は勘違いするもんだ。

大人になったら、自然と働き、納税し、結婚したくなったら結婚し、素敵に暮らしているんだろう。子供のころの僕はそう思っていた。しかし今の僕はあの頃から十数年経ってもまだ子供みたいに過ごしている。大人になったら自然とあらゆることができるようになるではなく、働き、納税し、社会に貢献していくことを通して人は大人になっていくのだった。年を取ったら自然と大人になりあらゆることができるようになると、子供のころの僕は勘違いしていた。

おなかとせなかがくっつくのを実感するのは、ちょっとこわいなあ。こわいけど、大人になるのは大変そうなので億劫だ。

 

ちなみに僕は運転免許証を持ってはいるが、運転がとても下手で、ウインカーは出せてもタイミングがはかれず、車線変更や右折がなかなかできない。まあペーパードライバーだからそうなるのは当たり前だ。何事も練習しなくてはならないのだが、子供時代を過ぎた人間にとっては、練習はイコール本番なことが多いので大変だ。