あらゆる娯楽は明日のために
昨晩はニコ生でNMB48渡辺美優紀卒業公演を見たんだけど、めちゃくちゃ満足度の高い時間を過ごせた。かわいい女の子たちが歌って踊るのを見るだけで、しあわせになれるってことを、ずっと忘れていた。
「ジッパー」という曲は、渡辺美優紀、白間美瑠、渋谷凪咲の3人ユニットによってパフォーマンスされてて、これが素晴らしかった。僕はこの3人の顔とその運用のされ方がひたすらに好きで、その3人が並び、歌って踊って互いの衣装のジッパーを外す……なんて光景を見せられるとただただ微笑んでしまう。微笑むなんて綺麗な言葉使っちゃダメですね、ニタニタしちゃう。にやけてしまう。
しかし、白間美瑠の瞳の輝き、あれはいったいなんなんでしょうね。あらゆる光を吸収、濾過して、純度100%の光線に変換し、そのビームで世界を照らす白間美瑠の目ん玉は、世界を見るための器官じゃなく、世界へのスポットライト。たぶん、あの目と対峙したら本当のことしか言えなくなると思う。「本当」のない俺は失語するしかなくなるだろう。目があっているようでも実際の彼女は何も見ていなくて、見つめられているように感じていてもそれは勘違いで、その瞳と向かい合うということは純度100%の自分自身と向かい合うことであって、むき出しの自身の姿に撃たれた俺は、その痛みに耐えられないんだろうなと思う。だから白間美瑠は画面越しにかわいいなあすげえなあと思って見つめるのが良い、正しいとは言えないけど、それで良い。
6年前はAKBにお熱で、握手会は行かなかったけど、劇場公演は2回行けた。研究生時代の永尾まりや、マジでかわいかった。
俺がAKBにハマっていた時期はそんなに長くなくて、生まれて初めて恋人に恵まれた俺は、恋人に可処分時間の多くを奪われ、彼女らの活動を見るのをやめた。まあべつに切実に追いかけていたわけじゃなかったので、そこまでの痛みはなかったとおもう。
恋人にフラれてだいぶ経った昨日、何の気なしにNMBのライブを見て、なんだか懐かしい気分になって少し泣いてしまった。
AKBの曲を聞いて、番組を見て、ライブを体感して、よし明日から俺も頑張ろう、と思っていた季節のことを思い出した。
NMBのライブを見た俺は、久しぶりに未来を想えた。彼女らに楽しませてもらいつつ彼女らの頑張りを見ながら、俺も頑張らなきゃなあとベタに思った。
エンタメに慰みを求める季節は終わった、前へ進む原動力にしたい。