ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

恋についての断章

はやく私を迎えに来い。そんな嬉しいことば、他にないはずなのに、「青春の影」にとらわれて、いつまでも前に進めない。

 


「恋のよろこびは 愛のきびしさへの かけはしに過ぎない」

 

好きだけではどうにもならない、出会って間もないころに放たれたことばが呪縛になった。そして、ひとは好き以外のものへ向かっていくのだろうか。



じぶんの心がまったく信じられない。きょう恋い焦がれていても、明日どうなってるかはわからない。



やたらのろけを披露する人たちがいるけれど、彼ら彼女らはじぶんの気持ちを確かめるためにそうしているのかもしれない。それは全然わるいことじゃない。恋愛を長続きさせるためのある種のテクニック、自家発電、恋を走らせる永久機関としてののろけ。でも、のろける人の中にも恋人がころころ変わる人はいて、そういう人ほどのろけてしまうのは、また恋が終わってしまうのが、こわいからなのかもしれない。いろいろえらそうに言ったけれども、のろけられるならガンガンそうしたらいいと思う。ぼくにもそういう時期はあったんだし。



ぼくらの歩みは恋から愛への「かけはし」にあったんだとおもう。そして、橋の向こうがどうなっているのかはわからない、とにかく、いまのぼくと手を繋いでそこに赴くのは、あまりに心もとない、そりゃそうだ。こんな男といっしょにサバイブできるわけがない。

 


しかし、ツイッターでAV女優に粘着リプライ飛ばしていた男、彼のことばは、ぼくに恋人ができることなくここまで生きていたら、ぼくの口から出たかもしれなかった。



個人的に印象深い恋愛映画を並べてみると、共通するのは「恋をきちんと終わらせている」という点だ。「恋をきちんと終わらせられない」というのもその裏返しでしかないから、同様に印象に残っている。