次の試練は
ご無沙汰してます。
憧れの人といつか対等に話したいと思って、話すチャンスを、ストライクゾーンの球をわざと見逃しながら死ぬほど頑張るじゃん、
— 大森靖子⚫️おおもりせいこ (@oomoriseiko) 2016年2月10日
頑張ったから会えて話せるじゃん、
でも話せる時には、対等じゃなくずっと憧れでいてほしいと思ってしまうからどっちにしろ距離をとりつつ喋るじゃん、
だったら最初から
文脈はちょっと違うけど、そんなこと考える1週間だった。
ベッドに横たわる毎日から一転。とんでもない芸術家の方に時間を割いていただいてお話を聞かせてもらい、ここ何年もの間ずっと憧れて遠くから見ていた(見れなかった)研究者との食事に同席させていただき、現状のじぶんには余りある(がゆえにチャンスを逃した感もあるけど…)幸運に恵まれて、とてもしあわせな日々でした。大森さんとは違って、おれは死ぬほど頑張れないのでストライクゾーンすぐ振りました。おれにとって彼らはいつまでも憧れのひとです。
とはいえ!(「とはいえ」がいつの間にか口癖になっている)すべての幸運はけっきょくのところ、じぶんのちょっとした努力の成果だとも思っています。ひとつ目の幸運はおれの孤独を避ける気持ちの一応の帰結であるし、もうひとつの大きな幸運はツイッターと、そして何よりこのブログのおかげなので。彼らの寛大さがなければ得られなかったラッキーであることはわざわざ付け加えるまでもないことだとも思いますが、付け加えさせていただきます、改めて、ありがとうございます。
しかし、幸運は、次の試練を呼び込むものだった。
おれは、横たわっていた日々を、けっきょく惜しいと感じてる。いまとなっては「空白の時間」としか形容できない時を、その日々のさなかにあって満たそうと努力してたなら、おれはいまよりもう少し早く先に行けただろうなって。
いまいる地点と、もう少し先にあったはずの地点。このギャップを挽回したいと思ってしまった、それが今回でっち上げられた試練。
とはいえ(!)、おれはその人に「歩くのが異様に遅かったころのおれ」を自慢したのだった。ゆっくりゆっくり歩いているころのおれがおれは好きなので、ゆっくりベッドから起き上がりゆっくりゆっくり歩きたいとおもいます。ということで、ブログ再開です。
ゆっくりでも進む、遅々として進む、だろ?