「かわいいね」だけでいい
みんな世の中はクソだって言っており、その世の中をつくっているのはまぎれもなくみんなだからおもしろい。
懸命に生きるしかない。世の中はクソだとは、やはり言えなくなってきた。俺がクソなんだ。
娘への「かわいい」が足りてないと思う。俺と妻はことあるごとに「かわいい」と言っている。言わずにはおれない。あいくるしいから。
しかし、人びとからのかわいいが圧倒的に足りてない。こないだ、旧友が娘に会いにきてくれたが、「お前に似てるなあ」「目が大きい」「まつ毛長い」くらいしか言ってもらえた覚えがない。「かわいいなあ」の一言でいいのに。いちいち言及ポイント見つけてくれなくていいよ。なにはなくともとりあえず「かわいい」と言ってやってくれ。
友人が、娘の写真を地元の友人たちとのグループLINEに送ったら「えらいカメラ目線だな」というコメントしか付かなかったのも根に持っているからな、俺は。
男どもは「かわいい」と発声することに未だためらいがあるのだろうか。さっさと言え、「お前の娘かわいいな」と言え。
しかし、道や駅でベビーカーを押す俺が立ちすくんでいるとき、年寄りの女性たちは「あら〜」なんて言いながら近寄ってきて娘にむかって「かわいいねえ」と言ってくる。娘のことを心底かわいいと思っているから俺は、「そんなことないですよ」と謙遜するわけでない。かといって話下手だから「そうでしょう、かわいいんですよ」と話を継ぐこともできない。ただただへらへらする。気持ち悪い笑顔で娘を見つづける俺に困ったおばあさんたちは、俺が「そうでしょう、かわいいでしょう」と言えるように「娘さんかわいくてしょうがないでしょう?」とベリーイージーなパスをくれたり、「7ヶ月くらい?」と尋ねてくれたりする。電車がホームに入ってきたり、信号が青に変わったりすれば「ごきげんよう」「さようなら」と言い交わして彼女らとは別れる。二度と再会することのない人ほど、うちの娘に気安く「かわいいね」と言ってくれる。これはいったいどういうことなんだろう、考えるのはめんどくさいからこの問いは放置する。
俺はひとみしりなので(親父になったというのに「ひとみしり」だなんて情けないったらありゃしない)、年寄りたちが話しかけてくるのはうっとうしいんだが、最近は割り切っている。子供を持つというのは社会からやたらめったら話しかけられるということだ。それに、娘がかわいいと言われてイヤな気するわけない。
あかちゃんはただそこにいるだけでいい、彼女に対して余計な言葉を貼りつけないであげてくれ、「かわいいね」だけくれ、頼む、これは、親のエゴか?
自分の子供に「かわいいね」と言いまくるなんて芸のないこと、そんなつまらない親にはなりたくなかった。けれども、幼い親子のあいだに芸なんて必要なかった。でかくなったらどうせ要らない言葉ばかり覚えていくんだから、今は「かわいい」をひたすら投げまくる。
親になっても思うのは、よその大人が自分の子供をかわいいというために聞かせてくる話はやっぱりつまらない。