『天気の子』感想
『天気の子』はパーフェクトなファンタジーだった。僕らを濡らしつづける鬱々とした雨を振りきる圧倒的なスピードで駆け抜けるストーリーは、弾丸のごとく僕を撃ち抜いた。Yahoo!知恵袋も、新宿も、プレモルも、日清もアパホテルも止まない雨も法律も、拳銃と同じように僕らを日々損ない続けている。この世界は狂ってる。
リアルに描かれた狂った世界の片隅で、マジカルなロマンスは、人知れず世界を揺るがし煌めきを放つ。今描きうるファンタジーはこれしかないと思った。
穂高が向ける陽菜への想いの頑なさに胸を撃たれる。誰かへの想いが衝動に変わり、理性や道徳を放棄して行動してしまった経験は、僕にはない。だからこそ、そんな瞬間に憧れる。きっと、穂高自身もそのときを待っていたから、100%の晴れ女に出会った瞬間、自分の人生を「棒に振って」でも想いを遂げてしまうと覚悟しただろう。
陽菜と凪を迷いなく連れ出し、警察の追跡をかわしていく。拘留されても脱げ出すし、刑事に銃口だって向ける。手錠をかけられたその手で陽菜を捕まえ、空を落ちていくふたりの姿に、僕は心を引き裂かれる。都市を水没させてでも愛する人と共に生きたがる、その想いの強度に慄く。
29歳になり、結婚をし、娘を育てる父になった僕は、穂高になることは永遠になかった。穂のように高く伸びていくような、少年から青年へと成長する過程にある人間に許される選択は、僕にはもうできない。鋼鉄の意志で、家族を守る側に立ちたい。でも、穂高のように線路を走りたいし、拳銃を握りたいし、空を落ちていきたい。
実際にはそんなこと、僕が29歳で、夫であり父であることとは無関係にやってはいけないことで、誰にも許されないことなのだけれど。だからこそ、道徳的に法律的に許されなくても、自分の感情と衝動と論理だけに許されるときを待ち焦がれてしまう、僕は穂高のようには島を出発できなかったから。後悔ではなく羨望がある。
自分にとって必要なものが分っていて、まっすぐに生きてこられた人は、この物語に心揺さぶられないだろう。情熱、衝動、劣情という目には見えないエモーションに身を引き裂かれてみたい、引き裂かれてみたかった、と思う人間だけが、『天気の子』に涙を流すんじゃないか。
余談だけれど、フリーライターの僕には、穂高がたまたま『月刊ムー』に寄稿するライターの須賀にフェリーで出会い、彼のアシスタントとして働きはじめる展開が羨ましかった。僕もせめて大学生のうちに、ああいう経験をしたかったな。東京にひとりぼっちは辛いから。