ロマンチックな夜の飾り
すごく悔しいことがあって、花粉症の薬をもらいに病院へ行った帰り道はずっと、いつか手にいれた星の数を数えて自分を慰めた。
俺は嫉妬や羨望の感情が強い。「なんであいつがもてはやされるんだ」「俺のほうが全然いいのに」「俺もあの人みたいにちやほやされてえよ」……そんなことばかり言ってる、自分と人とを比べてひがむ、そんな物言いがすっかり染みついて、羞恥もなくなってしまったほどだ。
以前、友人に「妬んだり羨ましがったりするのって『自分もそれに値するのに与えられてない』という不満があるからだよね」とたしなめられたことを思い出す。なんにも行動を起こしちゃいないのに、嫉妬したり羨ましがったりしてはいけなかったのだ。
自宅に帰ってから妻に「俺の文章のいいところ教えてくれ」と泣きついたら「今日は絶対そういうこと聞いてくるんだろうと思った」と笑ったあとで叱られた。
「駄目だよ、そうやってインスタントに肯定感得てもなんにも変わらないよ。好きなように書いたらいいんだよ。なんで人に聞くの」
俺は「好きなようにとか、ないから……」と半笑いで答えた。自己防衛の半笑い。そうでもしないと泣いてしまうほどに、妻の言葉が効いていた。
小学6年生のときに「死ぬかもしれない」と思いながら走り、高台で津波を眺めた少年は今年成人していた。夕方、震災を振り返る特番で見た。
あの日俺は大学1年の春休みで、バイトもサークルもしてないし友人も少なかったから、ひとり部屋にいた。実家から持ってきた上等なコンポでサザンオールスターズを流しながら、何十回目かの日記書き初めをしていた。日記を続けられなくなるたびに、過去に書いたページを破り捨てる。そうして薄くなっていくノートに「最初の」文字を書き込む。そんなことを何度も何度も繰り返す。俺の大学生はそうして終わった。続かない日記と薄くなっていくノートブックは、25歳くらいまでの俺を象徴している。完璧でありたくて、でも完璧がなんなのかわからなくて、かといって完璧を捉えようともがくこともせず、幻の完璧に怯えて自己否定を繰り返し、去勢されていった。
そんな俺が変われたのはどん詰まりまでいったときに立ち上げたこのブログを読んで褒めてくれる人がいたからだった。いくつもの薄くなったノートブックを捨てたのと同じように、このブログにたどり着くまでの間に何個ものブログを開設しては消してきた。「ひとつ恋でもしてみようか」が今も続いているのは、ひとえに、読んでくれる人のおかげだ。自分だけのために書くなんてこと、俺にはできなかった。
8年前、大学の友人に電話してもみんなほかの誰かとすでに一緒にいたから、ひとりで一夜を過ごした。また大きな地震が来て水道が使えなくなったときのためにバスタブには水を貯めておき、窓ガラスが割れたときのためにベッドサイドにはスニーカーを置き、テレビを点けたまま眠った。もしかしたら人生でいちばん孤独な夜だったかもしれない、その夜にいた俺は興奮状態にあって自分の孤独を自覚できていなかったけれど。
12歳の少年がからくも生き残り20歳を迎えるまでの8年。俺だって自身をとりまく状況はだいぶ好転しているのだけれど、嫉妬や羨望にかぎっていえば8年前よりだいぶ増している。
自分の性格・能力・境遇と折り合いをつけて、いい着地点を探したほうが賢明だろうし、そのほうがずっとラクになれると思うのだけれど、まだどこかで諦めがつかず、うだうだ言ってやがる。「はやくじいさんになりてえなあ」とうそぶいたかと思えば、次の日には「俺はもっとビッグになるんだ!」と口ばっかり達者になってみたりする。
昨日妻に「どんなふうにビッグになるの?」と聞かれて「年収1千万」と答えたら、彼女は「しょぼ!」と言って落胆していた。俺もそう思う。ほんとうは、なんか、あるんだよ。一生完璧なんかにはなれない俺だけど、幻じゃないビッグな輪郭はおぼろげに見えていて、でもまだ全然言葉にはできないし、そいつの正体がわかったところで手にいれられるかどうかはまた別の話だからと思って、半笑いしたりテキトーな数字でごまかしたりしてた。かっこわるいな。甲斐性は皆無で、体も性格も悪くて、すがれるような過去の栄光もない。そんな俺にあるのは未来だけなんだから、嫉妬や羨望に身をやつしてる暇があったらロマンチックに生きろ。またここから星を集めて星座を描け。その星座を道しるべに船を漕げ。夜はきちんと寝て朝すっきり目覚めろ。おやすみなさい。