マルシンスパに行った。
劇場の扉の前に着くと、ちらほらと人が佇んでいた。2人組かひとりきりの人たちが10組くらい、年配の女性もいれば、若い男もいる。
「到着したら電話してください」とメールで言われていたので電話をかけた。立ち話をしていた女性が電話を耳元に当てたので、手を上げて合図した。あ、という顔をして電話を耳か外した女は、今日はありがとうございますと声をかけてきた。
チラシ挟み込みのバイトだった。むかし通っていた講座のメーリングリストは今でも生きていて、そこを経由して届いたバイトの依頼だった。3時間で4500円。悪くないと思った。
着いた時は気づかなかったが、佇んでいた人たちはみなチラシの挟み込みにやってきていた。いろんな所属からやってきた人間たちが、自分らの宣伝すべき演劇のチラシを挟み込むためにやってきているのだった。ああいう分厚いチラシの束は、劇場の人が準備してるもんだとばかり思っていた。それに、いまどきは機械でやってるものだとばかり思っていた。劇団とかイベントの会社の人間がせっせと挟み込んでいるのだった。
部屋の中には3つの島が長テーブルで作られていて、ひとつの島の上には12種類のチラシが2列並んでいる。合計7000枚くらいあると言っていた。25人くらいの人間がその列の前を横歩きしながらチラシを1枚ずつ取っていき、最後にアンケート用紙でその束をまとめる。12種類のチラシがあるから12の企業や団体から人が集まってきたのだろう。人手の出せなかったところがバイトを雇っているらしい。
せっせとチラシを挟み込む。初めてなので要領をつかむのに時間がかかる。チラシの左上をつまむか、下側をつまむかで迷う。結局のところ、どちらでも良かった。というか、どちらの取り方もしなくてはならなかった。延々同じ動きをするわけだから、少しでも体をリフレッシュさせるために、今回は左上からつまもうとか下側をつまんで引っこ抜こうとかする。変化が体を凝りから遠ざけてくれる。
左手で山から1枚だけチラシを取り、右手にストックする。それを12回繰り返すとひと束できる。束をアンケート用紙で挟む。それを繰り返す。
自分の島で渋滞が起こり始めたら、臨機応変に島を変える必要がある。どうしてもミスはつきもので、誰もがチラシを取るのに手間取ってしまうことはあるので、渋滞は必ず起こる。
作業が始まる前は考えごとでもしながらやろうと思っていたが、とても無理だった。雑念が入ると手の動きは鈍る。チラシの絵や写真に見入ってしまっても動作が遅くなる。無心に手と足を動かすしかなかった。だから、どんなイベントのビラがそこにあったのか、僕はほとんど覚えていない。渡辺えりの出演するステージがふたつあったことだけ、やけに覚えている。
作業は結局2時間を過ぎたところで終わった。バイト代は3500円とあいなった。特に誰とも話すことなく、劇場を後にした。
3500円を握りしめ、国道20号線を西に30分ほど歩いたところにある「天空のアジト マルシンスパ」に初めて行った。
エレベーターで10階へ上がり受付をする。ロッカールームで館内着に着替え、階段を上がったところに脱衣所がある。棚に館内着とタオル類を置いて、浴室に入る。
ここのサウナはセルフロウリュができる。初めてだ。誰もいないので、思うままにやる。ストーンに水をかける。ひしゃくの柄が熱い。
サウナを好むようになってまだ半年くらい。入ったサウナはまだ10個くらいだろうか。しかしここのは今までのどれよりも良かった。
ほどよい暑さなのに今まで入った他のどのサウナよりも汗がかける、いつまでもいられる。ここのサウナなら眠れると思った。テレビもないから静かで良い。初めてサウナ時計の針が一周するのを見届けた。メガネをかけて入ったのだが、フレームがとても熱くなったので、タオルに包んで太ももの上に置いていた。
水風呂は痺れる手前の冷たさ。地下からくみ上げているらしい水は季節によって水温が変わるらしいが、この日は18度くらいだっただろうか。ちょうど良かった。前に入った三軒茶屋の「駒の湯」の水風呂は手足が痺れて痛くなるほどの冷たさで、あれはあれで気持ちいいが、やっぱりいつまでも入っていられるくらいの水温の方が嬉しい。
脱衣所で水を飲み、浴室内のデッキチェアで休む。窓越しの夕空に都会の高層ビルとナビタイムのおじさんが見える。ビルの上ではクレーンが2機交差していた。
僕はそこで初めてととのった。脳みそがふわふわ浮いた。夏の終わりの夕方、うっとりとした眠気に襲われそれに逆らおうとする時の心地よさを何十倍にもした感じだった。
サウナ→水風呂→休憩をせっせと3周した。90分コースにしたので慌ててしまったのが悔やまれたが、初めてなのでこれくらいで良いだろう。3回目の休憩のタイミングで、初めて屋外の休憩所の存在に気づいた。外気浴ができる!急いで腰にタオルを巻き外に出る。眼下には駅のホームが見える。向かいにはビルもある。東京の街中で、ほとんど裸になってしまえるなんて最高ではないか。少し興奮した。マルシンスパの浴室は11階にあるので、風が強い。都会の風を素肌に受ける。何も考えられなくなる。都会の真ん中にいるのに思考を停止できるというのは、革命的に素晴らしい。都会は常に思考を求めてくるから。頭の悪い俺は都会にほとほと、疲れてしまった。
時間が来たので館内着に着替えて、コーヒー牛乳を買ってもう一度外に出て、一息に飲み干して受付に戻った。
「会計済ませても食堂は利用できるか?」と聞くと「少しくらい遅れても大丈夫っすよ」と言われたので、チャーシューとビールを飲む。
チャーシューめちゃくちゃうまいんだけど量が多いので飽きた。
気持ちよくビルから出て、電車に乗って恋人の待つ部屋に帰った。