ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

台風一家

我が家に関しては、台風19号はあっけなく去っていった。昨日はミネラルウォーターやカップ麺、娘のベビーフードやオムツを買うために町をうろつき、溜まっていた洗濯物をある程度片づけたりして疲れたけれども、まあ大事に至らなくてよかった。1歳5ヶ月の娘を連れて避難生活なんて、想像するだけでうなだれてしまう。

でも、どこかで全てが吹っ飛ぶことを淡く期待していたりもし、このアンビバレントな気持をもてあましているうちに、一日は終わってしまった。

 

生まれてから20年間沖縄本島に住んだが、沖縄を通過する台風はとにかく遅かった。今回の台風の場合、関東に来るころには時速30キロくらいだったので、暴風域が広いとはいえども、雨はともかく風の強い時間は2〜3時間くらいではなかったか。でも、沖縄を通過時の台風の速度は「時速10キロ」はザラで、「ゆっくり」なんて表記も珍しくない。丸一日暗い嵐のなかにいる。そんな子供のころは、一日中家の中でテレビを見たらお菓子を食べたり人生ゲームをしたりして暇を潰していた。

台風の目通過後の吹き返しなんてのも、時速が遅いからこそ警戒すべきものであって、東京にいるといつ台風の目が頭上を過ぎたのかも分らない。

 

沖縄の実家は海抜が低く、水捌けも悪い場所にあったので、大雨が降ると、一帯が浸水した。家自体は少し小高いところにあったため浸水することはなかったが、駐車場から車を出すとタイヤがほとんど見えなくなるまで水嵩が増していることはままあった。

大雨が降ると、母は窓の外をしきりに見る。辺り一帯が水没して、陸の孤島になった家に取り残されることをひどく恐れていた。子供の僕は、陸の孤島に取り残されてヘリやボートで救助されたらひどく楽しいだろうな、くらいにしか捉えていなかったので、母の怯えは滑稽に思えた。しかし今なら分るが、彼女は僕と妹を連れて避難することの困難も考えていたはずだ。母は自分の不安感だけで狼狽えていたのではなく、僕らを守れるか心配していたんだろう。

台風が近づくと、父は家中のガラス窓に目張りをし、庭の植木をひとりで全部片付けた。結構な量だったように思うけれど、別に手伝えとも言われなかった。僕が台風の到来(と休校)にわくわくしているのと同様に、台風情報を逐一確認する父も、台風に興奮しているように見えた。彼の台風対策の手際が良いのは、子供の目には父が「楽しいこと」をしているからだと思えた。ただし、父にとっての「楽しいこと」が、僕にとっての「楽しいこと」であるとは限らない、という真っ当な感覚は子供ながらに持っていたので、僕は彼を手伝わなかった。しかし事実は違う。母と同じように父もまた、台風に正しく怯えていただけなのだと思う。自分で建てた念願のマイホームが壊れるのは嫌に決まっている。それに父は建築士だったので、自分の設計した建設中の建物への影響なんかも気がかりだったはずだ。しかし父は台風の到来に苛立つこともなく、淡々と対策し、台風情報を注視していた。

 

僕は守られていたんだな、と今さら知る。今回の台風到来に怯えていた自分を省みて、自分にも守る家族がいるんだと改めて実感して、はじめてそう思った。子供だったころの自分はそう悪くない家庭に育ったんだな。父と母はそれぞれ思うところがたくさんあっただろうに、それでも家族を案じ、家庭を守ろうと彼らなりに踏ん張っていたんだろう。彼らにもきっと、台風がすべてを吹き飛ばしてくれたらいいのに、なんて思う瞬間もあっただろう。それでも僕はこうやって生きている。彼らにはいろいろ思うところもあったが、素直にすごいなあと思ったりした。

 

それはともかく、事前準備の猶予がある台風はまだいいけれど、突然来る地震に対しての備えってのは日常でしかやれないので、真価を問われるのはいつか必ず来るその日かもしれない、なんて思ったりもする。

 

台風一過の夜道を歩きながら書いた。