ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

“シラフで”クッソ生きてやる。

自分がどう見られるか気にしすぎた結果、自分は人から見られてない、という嘘へ逃避。誰も俺のことなんて見てないから……と心のなかで宣言すると少しだけ気持がラクになる。でも実際は見られてるんだよな。「誰もおまえのことなんか見てないよ」はダウト。誰かが必ず見てる。

 

俺の自意識過剰の行く末は堕落だった。人の目を気にすると、自分が透明になっていく。ほんとうは自分で自分を見つめなければならなかった。俺は俺をどう見るか、スタートはそこからだった。俺は他人に自分を預けすぎた。

 

日付変わって29歳になる。20代最後の1年の抱負は「シラフでクッソ生きてやる」に決めた。昨日Twitterで「キレートレモンサワー」を見かけたのと、今日あるCM撮影にエキストラ参加した結果、強くそう思った。

我々をあの手この手で飲みこもうとする最近のアルコール業界が呪わしくなってしまった。俺らを酔わせてどうするつもりだ!なんてことを酔っぱらった脳みそで思った。酔っぱらう時間はもちろん楽しいけど、日常をやり過ごすためのアルコールはもう要らない。ハレの日だけ飲みまくろう。ケはシラフで生き抜こう。アルコール無しでは生きにくい社会に怒ろう。

これからオリンピックと万博という祭りを通過するわけだけど、そんな日々を俺はシラフで生きたい。

 

CMの参加要項には「酒気帯びの参加はお断りいたします」とあった。この文言がなければ俺は確実に一杯ひっかけてから現場に赴いたと思う。酔ってれば容易に楽しい思い出をつくれたろう。でも、禁止されていたから俺はシラフの俺で行った。したたか緊張した。なんにも貢献できなかった気がした。生産性ゼロ以下が生身の俺だった。シラフの俺のギアの上げ方なんてとっくの昔に忘れてしまっていた。

思い出したくなった。

 

渋谷を歩いててもネットに接続してても、常に数多の人間の情感や意見、視線に晒されている。東京に生きると絶えず外部との摩擦に晒され疲弊していく。摩擦で焼けつく皮膚の痛みに耐えるべく冷たいアルコールを摂取してやり過ごす、そんなのもうやめだ。俺は大切な人とかけがえのない時間をより鮮やかにするような酒以外飲まない。シラフでもスイッチひとつ入れるだけでブチあげられる人間になりたい。アルコールで自意識をシャットアウトして本日閉店するのではなく、酔わずにシラフで自分を自分の視線で省みたい。自分という海に潜ったときはじめて出会える感情がきっとあるはずで、だから次の1年は積極的に生きていきたい。