ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

上京丸九年

2010年3月25日に上京したから、丸9年、故郷を離れて暮らしたことになる。一浪して大学に受かった、20歳のころの俺、羽田空港に降りたったとき、何を思っていたのかさっぱり覚えてないな。
夕方羽田着の便だったから、自分が住むことになるワンルームに入ったとき、もう外は薄暗くて、部屋はもっと暗いから、灯りを点けようとしたら、部屋には電灯がなかった。そうか、自分で電灯買って取り付けなきゃいけないのか、とそこで初めて気づく。

見知らぬ街、まあ町田なんだけど、原町田2丁目から駅の方へ歩き、どこに何があるかわからなかったから、西友に入ったのだった。しかし、そこには俺の部屋のソケット規格に合う電灯がなかった。店の人に聞いたら、駅の向こうにヨドバシカメラという電器屋があると教えてくれた。当時の俺はヨドバシカメラの名をそのときはじめて知った。沖縄一の電器屋は「ベスト電器」だった。俺の実家の近くにはヤマダ電機があった。そこで買った洗濯機が今、俺と妻と娘の服を回している。とにかく、俺はヨドバシでオレンジ色の傘を被った電灯を買った。

部屋に灯りが点った瞬間のほっとした感じ、あれっきり味わってないな。ひとり暮らしはじめての夜を、暗い部屋で過ごすことになるかもしれない自分が不憫でしょうがなかったから、灯りが点いてほっとした。安心したところで母に電話をかけ電話を切った後で泣いた。それから俺は2日間、ホームシックで泣きぬれた。3日目にようやく梱包と解き、生活を始めようとした。



地方から東京に出てくる最近の若い子は、田舎のしがらみや閉塞感から逃れたくて上京するわけではない、という言説を小耳に挟んだ。じゃあ彼らがなぜ上京するかといえば、自分を成長させたいから。みごと成長したら彼らは、田舎に戻って地元に貢献したいと思っているんだと。なんて前向きなんだろう!俺の上京は後ろ向きだった。戦略的撤退のつもりで、まだ知らぬ東京に来た、戦略がないどころか、戦術も戦法も知らなかったというのに。いまだに習得してない。いいかげん必勝パターンが欲しいな、誰に勝つつもりだ。

 

町田から新宿までは小田急線で30分だけど、町田に住んでた2年間で、新宿まで行ったのはほんの数回だった。東京に越してきたところで、なにをしたいのかもよくわからず、町田のボーリング場や淵野辺駅前のカラオケ屋、友人たちの部屋部屋で時間を潰していた。それなりに楽しかったんだと思う。

新宿も渋谷も行かないし、銀座や中目黒なんて存在すら知っていたかどうか危ういあのころの俺は、なんにも興味がなかったんだろう、俺に興味を持ってほしいだけだった。

しかしそもそも俺が俺に興味なかった、と今ならわかる。俺は俺を知ろうとしてなくて、誰かに俺を教えてほしかった。東京には無数の人がいるというから、上京すれば、誰かが俺を断定してくれると思ってた。

こんな俺の甘ったれに気づくまで9年かかった。最近ようやく知ったんだ、俺は俺に興味がないし、とことん人に甘えてるってこと。

 

 

田舎に帰りたいなんて微塵も思わないけれど、電車で沖縄なまりが交わされているのを聞くと、俺は故郷を失ったのだと気づく。何年か前に帰省したおり、沖縄なまりで話す旧友たちが羨ましくてマネてみたら「お前の喋り方わざとらし!」と笑われたことを思い出す。

そもそも生まれたころから俺はゆるやかに故郷を脱臭されていたのだけれど、それはまた別の話だから今度書こう。