ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

生きるのって大変

最近、あかんぼうが寝返りを打たないことにふと気づいた。引っ越してからだ。引っ越す前は畳のうえに敷布団という比較的硬いフィールドにいたから寝返りを打ちやすかった。しかし今はふかふかのベッドマットに寝かせているので、マットレスに体が沈んでいるのかもしれない。

ベビーベッド買ったが、届くのが10日後。待ち遠しい。

 

それはともかく、久しく寝返りをうってないあかんぼうが心配になったので、ベッドより硬いソファに横たわらせて、ジタバタさせた。そういえば、この子にはおもちゃの類もそんなに与えていない。妻も俺も、そういったことにあまり関心がないのかもしれない。ベビーベッドが来たら、頭上で音楽を鳴らしながらくるくる回るやつとか買ってあげようか。今日は義父がくれたガラガラを持たせてやった。義父ってはじめて言った。

胎教とかもほとんど気にしなかった(妻はしてたかもしれない、どうだろう)。昼間、遅ればせながらのHiGH&LOWを見つつミルクを飲ませていたが、赤子に怒声を聞かせるのはまずいかもしれないと思い、見るのをやめた。代わりにiPhoneモーツァルトを流してみた。クラシックのことはまったく知らないけど、子供に聞かせるといいらしいからApple Musicで見つけて再生した。モーツァルトのかなしさは疾走しているか?涙は追いつけないのか?パパにはよくわからない。わからないので、神田松之丞のラジオを聞いた、これならお父さんわかるなあ。

 

子供の教育のため、みたいなことを俺はほとんど考えてない。でも、妻はひとつ明確な方針を持っている。それは「いろいろな大人に会わせる」というもの。これには賛成。子供のうちから、いろいろな生き方があることを知るのはいいことだと思う。俺は子供のころ、大人と会話してこなかった。大人になりたいとも、なりたくないとも思ってなかった。大人がわからなかったから、嫌悪することも尊敬することもできなかった。生きていれば自ずと大人になって、のうのうと生きていけるもんだと信じきっていた。大人は大人で大変だし、大人は大人で楽しいってことを、幼いうちからなんとなくでも感じておくのは、大切なことだろう。俺は大人を知らなかったから大人になるのにだいぶ出遅れた。

 

 

兼業主夫、なんてものになったからか、どういう人間として立ち振る舞えばいいのかよくわからなくなった。俺はどう立ち振る舞いたいのだろう。なんなんだろう。

10月は思いのほか忙しく、11月はほとんど仕事がないので(主夫になるにあたり、どの程度なら仕事ができるのかわからず、仕事量をかなり減らした)、そのギャップになんだか気が抜けてしまったのもあり、もやもやしている。ライターとして本格稼働して1年が過ぎ、ようやく基本的なことが一通りできるようになってきたタイミングでの小休止に、思いのほか戸惑っている。

 

 

主夫同士で集まり、意見交換をし、主夫として情報発信をするfacebookグループ(オンラインサロンのようなもの、と彼らは言っていた)があることを偶然知ったのだが、それってなんだかイヤだな、と思った。

彼ら(を代表して情報発信をしている人が言うことに)は、“主夫の生きづらさ”みたいなことを考えているらしく、“主夫もキャリアのひとつ”と定義する。“主夫のコミュニティ”はすでにいくつかあるけど、たくさんあったほうが自分に合ったものを選びやすくなるのでこのグループには意義がある、とか、主夫をもっと身近な存在にしたい……そんなようなことが書かれていた。読んで損したと思った。何を期待していたんだろう。

 

“主夫の生きづらさ”ってなんだろうか。そんなものあるのだろうか?主夫として十分に食っていけて、パートナーがそれでいいと言っていれば、万事オッケーではないか?国の制度が主夫を過剰に不公平に扱っているか?主夫が差別されたりするか?そんなこと、ないだろう。

「主夫もキャリアの一つって考えられるようになって初めて自分は無職じゃないって思えるようになった」なんてことも書かれていたが、「無職=悪いもの」と捉えているところがいけすかない。「自分は無職じゃないんだ」と思えて安心するのは、無職をダメな存在だと彼自身考えているからだ。主夫がキャリアなら、無職もキャリアじゃないのだろうか。なんらラディカルでない軟弱な思想で馴れ合う集団が苦手だ、俺は。

 

俺は、人がその属性でもってグループになる、というのがあまり好きになれない。不健康だと感じてしまう。同じ悩みを抱えるものたちで集まり情報・意見交換するのは有意義だと思うけど、それを半ば団体にして、対外的に発信をしていこう、だなんてうさんくさい。ろくなもんじゃないと思う。

 

“生きづらさ”というバズワードも、聞くたびに引っかかる。この社会には“生きづらさ”なんてものはなく、「生きるのって大変」という全人間の素朴で実感のこもった個々の感想しかない。生きるのって大変だな…と一度も思わずに死んでいく人間なんていない。いるとすれば、そいつは肉体が死ぬ前に感性が死んでいた。

 

娘にはそういう「生きるのって大変」をたくさん知ってほしいし、伝えたい。