ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

「大森靖子生誕祭」(2018年)感想文、大森靖子の歌を血肉化するということ。

9月18日、大森靖子の生誕祭ライブに行った。

  

グッズ買いたいな、と思ってお金を多めに持ってLIQUIDROOMに向かったが、物販の列に並びスタッフの方に購入したいグッズを伝えるというのにどうしても気後れしてしまって、けっきょく何も買えなかった。
開演までの時間、手持ち無沙汰になってしまい三回もトイレに入り、三度目は個室に入って小便をひねり出したあと便座に腰かけ、二杯目のジンバックが入ったプラスチックカップを一息で飲み干した。カップに残った氷を便器に放るとカランカランと音がして、個室から出るのが恥ずかしくなった。
せっかく持っていったピンクメトセライト(サイリウム)も振ることはないだろうと思い、パソコンの入ったボロボロのトートバッグごとコインロッカーに入れた。

2016年のTOKYO BLACK HOLEツアーファイナルに、当時は恋仲だけだった今の妻と行って以来、大森さんのライブには彼女といっしょに行ってばかりだった。妻といっしょなら物販だって並べるし、ライブ前の時間も楽しく過ごせるし、たまにはサイリウムも振ることができた。でも、この日妻は、家で赤ん坊の面倒を見てくれていた。
ひとりの俺は、妻と出会う前の自分と変わらなかった。大勢の人のなかで、あいかわらず、自分の身の置きどころがよくわからず、ふらふらしていた。

 

 

3ヶ月ぶりに見る大森さんのライブはやっぱり圧倒的で……というか、結婚前は最低でも月に1回は大森さんのライブに行っていた俺は、この人のすさまじさにどこかで慣れてしまっていたのかもしれないと思った。「イミテーションガール」がこんなに良い歌だったなんて、恥ずかしながら知らなかった。

特にこの日は「POSITIVE STRESS」→「マジックミラー」の流れがよくて、泣いてしまった。
小室哲哉作曲の「POSITIVE STRESS」をリリース版ではなく、デモテープの音に近づけたアレンジで披露したのち、「マジックミラー」で“いままでの嘘 ぜんぶばれても あたしのこと好きでいてね”と歌う大森さんに、小室へのリスペクトやその不在を悲しむ気持ちを感じると同時に、平成という息苦しい時代を総括された気までした。

リオオリンピックの閉会式で「POSITIVE SWITCH」というコンセプトが掲げられた2016年、大森靖子は「POSITIVE STRESS」を描いた。
《平成》が実質的に終わるのは、「世界にポジティブな改革をもたらす大会」を目指すという2020年の東京オリンピックが幕を下ろしたときだと思うが、そのときにこそ「POSITIVE STRESS」がより一層輝いてしまうのかもしれない。
でも本当はその前に、善良な若い人たちには「POSITIVE STRESS」に出会ってほしい。広瀬すずが駆け出すCMを見て無給で「おもてなし」をするよりも、ずっといいと思うんだけど。

 

ネギ to the ネジ スーパーの袋からはみ出すネギだね あたしの才能

ネギ to the ネジ 大人たちはへし折る 社会で使えるネジにするため

 

 

「流星ヘブン」→「君に届くな」→「死神」の流れも最高だった。この日の「流星ヘブン」と「君に届くな」はこれまでの品がある感じというよりも、激しさのほうにふれているように思った。そのアレンジはラストの「死神」にクライマックスの照準をあわせるためだったかもしれない。この流れがより精度を増したら、今度のツアーは過去最高の体験になるはず。

 

 

しかしなんといってもこの日のライブは、ファンの熱量が過去最高だった。大森さんは着実にファンを増やしていて、彼らの熱量も増していて、初っ端から前のめりに腕を振り上げ、歓声をあげ、ライブを盛り上げている。
とくにこの日は「靖子がいちばんかわいいよ!」と声を合わせてアンコールするファンたちに驚かされた。俺が行ったことのある大森靖子のライブでは史上最高にアンコールの声が大きかった。
大森靖子のファンも、大森さんがステージを上がっていくのにつられて、きちんとパワーアップしているのだなと思った。

 

かたや俺は、声をあげることも、ジャンプすることも、それどころか満足にペンライトを振ることすらできない。なんだかとても情けなかった。もちろんステージのうえの大森さんはいつもより声が出ない状況でも(ライブ直前に起こった地震をきっかけに、この日の大森さんは声を出せなくなったそう。しかし鍼灸院に行ってなんとか回復し、ステージに上ってファンの顔を見たら歌えるようになった)、躍動していた。ドレスの鮮やかな赤が闇に翻る。ギターを持たない真っ白の腕は舞う。
ラスト、この日も大森さんはマイクスタンドを持ち上げ、マイクを観客席に向けた。さまざまな観客の声が、マイクを通して、ライブハウスにこだました。いつからかやるようになったこのパフォーマンス、俺はまだそのマイクに向けて声を放ったことはない。

 

 

この日は、新しいプロジェクト「ZOC」のお披露目もあった。

 

彼女たちは、大森靖子の楽曲「ZOC実験室」と「ピンクメトセラ」の2曲を歌って踊った。ZOCがこれからどのような形で活動していくのかはわからないけど、大森靖子の楽曲を女の子たちが歌って踊るという光景がMVではなくライブで見られることに、眼福を通り越して、末恐ろしさを感じた。
大森靖子の歌を体を使って表現する行為は、とても危うく、それでいて抗えない魅力がある。大森靖子の歌を解釈したうえで、踊り歌えば、その人の本質は根本から変わるだろう。それは、ワクワクすることであると同時に、恐ろしいことでもあると思う。これまでの自分とは決定的に変質してしまう、その変化によって、それまでのあいだに作りあげた自分がまったくなきものになるかもしれなくて怖い。でも、その恐怖は希望と表裏だ。
大森靖子の歌を血肉化していった彼女たちが、どんな存在になっていくのか楽しみだと思った。

 

しかし、大森靖子はZOC始動にあたって、次のようなメッセージを発している。

ZOCは固定したり、流動的になったり、弾性的に様々な形で形成される。そしてZOCは、ZOCが影響を与え受ける全ての存在と繋がって存在します。私はZOCのプロデューサーではありません。一緒に戦い、一緒に遊ぶ、同じ心に黒い穴の空いた共犯者です。そして、わたしたちZOCの共犯者に、あなたもなってほしい

俺も大森靖子の歌をより血肉化し、表現することを要求されているのだ。彼女たちを傍観しているばかりではならない。まだまだ不安定に歌い踊る彼女たちを見て、負けてられないなと思った。俺はひとりでも物販に並ぶ、サイリウムを振る。俺のZOCはそこから始めなくてはならない、先は長い。