ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

オーパッキャラマド

「きらきら星」を歌ってやると、我が家の生後4ヶ月弱の娘がえらく喜ぶことを、妻が発見した。歌いながら手のひらをひらひらさせると、手足をジタバタさせて笑う。泣きはじめたくらいのタイミングだったら、きらきら星を歌ってやると“きらきら光る”の段階で泣きと笑いが混じり、“おそらの星よ”と歌うころには、彼女の表面を笑いが凌駕する。

 

ためしにいろんな歌を聞かせることにした。いまの世の中はとても便利で、AppleMusicで童謡を探したら山のように出てきて、延々流すことができる。ひとりで子守をした日に、いろいろ聞かせてみた。

 

「きらきら星」の次に喜んだのは、「ブラームスの子守唄」だった。すぐにおとなしくなる。笑って喜ぶというよりも、聞きいるという雰囲気。僕もこの曲はとても好きなので嬉しかった。
ブラームスの子守唄」は僕が赤ん坊のころによく聞かされていた曲で、それは赤ん坊の顔くらいのサイズの、小さな雲形のクッション型のオルゴールから聞こえてきた。あかんぼうの僕が寝るベビーベッドの上方から吊り下げられた雲から聞こえる「ブラームスの子守唄」が潜在意識にこびりついていたのかどうかは知らないけれど、僕はこのオルゴールを小学校高学年くらいになってもよく鳴らしていた。

 

何曲か娘に聞かせているうちに、自分の思い出に寄り添いたい気持ちが強くなってきて、僕は「赤いやねの家」を流した。
夕暮れどき、和室の敷布団のうえで、娘にミルクをあげながら聞いてみた。

いつかいつかぼくだって おとなになるけど

ひみつだったちかみち はらっぱはあるかな

ずっとこころのなか あかいやねのいえ

号泣してしまった。大人になってしまった僕が子供のころ好きだった歌を、まだしゃべることもできない娘にミルクをあげながら聞いている。時間の重さに嗚咽した。この歌をせいいっぱい歌っていたころの僕は、この歌が描く、引っ越しがもたらすノスタルジーにひどく憧れていた。自分もおとなになったら、小さい頃住んでいた家や帰り道を思い出すんだろうな、と信じ切っていた。僕も当然大人になるんだと思っていた。疑いの余地がなかった。自分の現在が、ノスタルジックなものに変わっていくことへの甘美な期待があった。
そんなことを思い出しながら涙した。僕ら家族は転居してまもないこの海辺の家から秋には出ようと思っているから、そういった状況もあいまって感情はより揺さぶられた。僕の腕の中にいるこの赤子もいつかこれから来る幼少期を懐かしむのだなと想像したら滂沱の涙だった。

 

そのあとにシャッフル再生で流れてきた「クラリネットをこわしちゃった」にも感極まった。

「ぼくのだいすきなクラリネット パパからもらったクラリネット」俺はこの子に大切なものをどれだけ与えられるだろうか。

「とってもだいじにしてたのに こわれてでないおとがある」大事にしているものほど壊してしまうよね。たくさん練習したぶん、壊れる可能性も高まるのだし。

「パパもだいじにしてたのに みつけられたらおこられる どうしようどうしよう」俺はこの子が大切なものを壊してしまったときに叱りたくない、いっしょにきちんと悲しんだあとで励ましてやりたい。しかし、この歌の親子は親子いっしょになって大切にできるものがあってそれはそれでとても幸福なことだ。俺は自分の父となにか価値観を共有したことがないから、それはとてもうらやましいことだと思う。俺と娘はなにを共有できるのだろうか。

 

みたいなことをつれづれ考えた。
そして、極めつけが「オーパッキャラマド パッキャラマド パオパオパンパンパン」だ。この無意味な音の羅列が、すべてを許してしまう。大切なものとか説教とか落胆とかなんだか全部がどうでもよくなる陽気な調子がここにはあって、だから僕はここを聞いて泣きながら笑った。「キミョウキテレツマカフシギキソウテンガイシシャゴニュウデマエジンソクラクガキムヨウ」に通ずると思った。
調べてみると「オーパッキャラマド」は原曲そのままの歌詞だそうで、「一歩一歩進んでいこう」と父が息子を励ましているらしい。知らなくてよかった。

娘には、いつまでも不可知としてのオーパッキャラマド的領域を守ってあげたい。過ちも、無意味も許していきたい。……これはロマンチックにすぎるな。

 

娘は昨日あたりから自分の足を手でつかむようになった。自分の体の輪郭を確かめているようだ。まだ生後4ヶ月弱なのに、体のクセがあるらしく、いつも左手で両足を触りつつ、右手はおしゃぶりをしている。よく泣き、よく笑う。僕が笑いかけるとマネして笑ってくれる。泣くことは本能的にできるけれども、笑い方は覚えていくものらしい。

妻は笑い方がとても上手で、僕はそれを好きになった。もちろんこれは笑顔が素敵ということでもあるんだけど、喜びや楽しさを顔に浮かべるその技術が長けているということでもある。そして、これは練習の賜物であるような気がする、と思って、感心し、尊敬したのだ。

僕はとにかく笑った顔がブサイクで、ときには「笑顔が怖い」なんて言われることもあるくらいだから、娘は妻と同じように笑顔が上手になるといいなと思う。だから、僕の笑顔をマネさせるのはあまりよくないことなのかもしれない。

 

「笑顔の絶えない家庭にしたい」ってとても凡庸な願いでつまらないし、笑顔が絶えることをも肯定できるような関係性のほうがラクだし温かい気がする、とか思って生きてきたけれども、やっぱり妻と娘は笑っている顔をなるべく多く見たい。凡庸になっていくことを素直に受けいれていこう。

「受けいれていこう」とタイピングしようとしたら「受けいれ抵抗」と変換してしまって、僕はなんだかいつまで経っても引き締まらないな。