ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

Eテレ「猫も、杓子も」を見た

昨日テレビを見ていたら偶然「猫も、杓子も」という猫番組に出くわした。

“ネコメンタリー”を標榜するその番組は、作家と猫の暮らしを映し、それに飼い主である作家が文章を添えるというドキュメンタリー。

 

僕が見たその回は、小説家の吉田修一と、その飼い猫金ちゃん銀ちゃんが出ていた。

えらい高級そうなマンションの広い一室に、その売れっ子作家と小綺麗な猫は暮らしている。やたらと絵が飾ってあって、バイオリンが壁に下がってたりする部屋。むやみに広いテーブルの前に一人腰かけ紙コップに入ったコーヒー飲みながら原稿チェック。そういう洗練具合がイヤミでない感じがむしろイヤミだなと思ってしまうあたり、僕のひがみ根性だろうか。

ソファで足を組み原稿チェック。膝に乗る金ちゃんをどかすことなく受けいれる。金ちゃんと銀ちゃんはえらく上品な見た目で、うちのワンパクな猫とは大違いだった。

吉田修一という存在は、僕のなかではなんとなく忘れたい過去という感じがある。大学入学前後はとにかく好きだったがゆえに、今となっては気恥ずかしいのだ。吉田の書く小説を読まなくなって久しいが、テレビで不意に出くわした彼は、小説のなかに出てくるようなこざっぱりとした雰囲気の暮らしをしていて、そこにある種のたくましさを感じてしまった。

 

 

そのネコメンタリー『猫も、杓子も』の最新回が先ほど放送されていた。昨日の吉田修一回は最新回の放映に合わせた再放送だったのだ。

 

今回は保坂和志と白ちゃん。世田谷線沿いに住む保坂の家は、インスタ映えにはほど遠い質素なものだった。むかし、吉本隆明の住む家をテレビで見たことがあって、「有名作家でも普通の家に住むんだな」と思ったけど、そのときと同じ感想を、保坂さん家にも抱いた。

目つきの悪い白ちゃんは外猫で、保坂はその猫に15年間一度も触れたことがないという。

保坂が作ってやったという猫小屋はえらくチンケで、屋根の部分から気泡緩衝材、いわゆる“プチプチ”が垂れていた。保坂の見た目へのこだわりのなさにグっときてしまった。これもまた、小説の中の人物のような佇まいだと思った。

保坂和志の『プレーンソング』のように、誰かに生かしてもらいたいと思っていた。でも、僕はあれを読んだころ、誰とも深く交わりあえなかったし、なんにもやりたいことがなかった。ひたすらに憧れるだけだったな、あの世界。

 

 

僕は、吉田修一的な振る舞いにも、保坂和志的な佇まいにも憧れてしまう。この人生はどっちにもなれないのだろうけど、どっちかを目指すことならできる。どっちがいいかな。決めたいな。

 

ネコメンタリーを見たのに、猫についてほとんど感想言ってないな。