ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

昔はもっと濡れていた

水に濡れた思い出は多い。

 

小学生のころの春の遠足では毎年川や池に落ちてずぶ濡れになるというジンクスがあった。5年生のとき「今年こそ濡れてたまるか」と思っていたのに、公園の池にかかる橋から水筒を落としてしまい、足で挟んで回収しようと発想したぼくは欄干に捕まり水面に足を伸ばした。足は空を切り、やがて手を滑らせたぼくは見事に3年連続濡れねずみ。遠足からの帰り道、5年生なのに涙が止まらなかった。

 

もちろんいい思い出もあって、小学4年生の半ドンの午後、豪雨にびしょ濡れになりながら男子も女子も入り乱れてびしゃびしゃになったのはすごく楽しかった、女子と分け隔てなく下心なく無邪気に遊んだのは多分あれが最後だ。

 

中学生のころは文化祭でお遊びのシンクロをやった。『ウォーターボーイズ』の影響である。夏休みは毎日のように集まって、水に潜り飛び躍動した。本番、所狭しと学生、先生、父兄らが所狭しと集ったプールサイドを、ブラック・アイド・ピーズ“Pump It”をBGMに走る。たまたま好きだった女の子の目の前がぼくのポジションだった。あの子の目の前、半裸で踊ったとき、ぼくを見て彼女はけたけた笑った……書きながら思い出してグッときてしまった。

シンクロのクライマックスは5段やぐらだった。本番1週間前、4段だと余裕だからもう1段増やそうということになったのだが、当日まで一度も成功しなかった。本番でも4回チャレンジしたが完成は叶わなかった。“Pump It”で颯爽と駆けたプールサイドを福山雅治“虹”でとぼとぼ退場する。全員が肩を落とし、中には涙を流す奴もいて、観客もほとんどみなおそらく心底からのねぎらいの拍手を送っていた(と感じるほどの主役感だった)。いつもはひょうきんなタイプの学生らが本気で落ち込んでるのだから、その拍手もだいたいが本気だったと思う。濡れた体を拭くこともなく、更衣室で泣き濡れるチームメイトたちを見てぼくはなんだか突然白けてしまったのを覚えている。失敗を美しくしようとする涙はずるいと思ったのだ。あのころのぼくは今よりずっとまっすぐな心根だった。そんな風にもやもやするラストではあったが、それでもあれはいい思い出だ。

 

大人になってからは水に濡れた思い出がほとんどないが、真っ先に思い出すのは、今の妻と結婚するずっと前、入江陽のライブを見に「月見ル君想フ」に向かう道で雨に濡れたときのこと。彼女の小さな折りたたみ傘にふたりで入っていた。ぼくがさしていたのだけれど、間違えてボタンを押してしまって傘は閉じた。ただでさえ濡れていた体がびしょびしょになった。彼女はあらかじめ「ここのボタン押しちゃうと閉じちゃうから気をつけてね」と言っていたのにぼくは間違えてしまった。でも、ぼくらはしたたかに笑いあった。あの夜の公園はどこだったか。ずぶ濡れのまま着いたライブハウスはえらく空調が効いていて寒かったけれど、楽しく音楽を聴いた。

他にもたくさん水にまつわる思い出はあるのだけれど、もうめんどくさいのでいちいち書くのはやめる。

 

水に濡れたときの思い出はなぜか鮮明に残る。特に太陽の記憶よりも雨の記憶のほうが強烈で、サザンが「思い出はいつの日も雨」と歌ったのは真理だと思う。大人になってからは水着姿になるのも億劫だし、梅雨明けをとても嬉しく思う、それが少しさびしい。