ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

白いブラウスとグレーパーカー

新宿のガストで昼食をとる。まだ春休みなのか、中学生くらいの子供たちが多い。

 

向かいのテーブルに座る女子中学生ふたり。通路側に座っていたグレーのパーカーを着た女の子がトイレに立つと、壁際のソファに座っていた品のいい女の子が見えた。真っ白のブラウスを着た少女は真っ黒の長い髪をひとつに束ねている(小松菜奈に似ている、似せている?)。彼女はナイフとフォークを使いながら上品にハンバーグをつぎつぎほおばる。背筋もまっすぐだ。洗練されている。

彼女の前にはライスもパンもなく、ハンバーグの乗ったプレートと水の入ったグラスがあるだけだ。

 

トイレから帰ってきた女の子を正面から見た。剃りすぎた眉が野暮ったい。くたびれたスニーカーのピンク色はくすんでいる。パーカーの袖は少し短い。

 

彼女たちの話し声は聞こえない。たまに白いブラウスの少女がほほえむ。テーブルの下から足を投げ出したグレーパーカーの少女は、身ぶり手ぶりまじえていっしょうけんめい話している。

席を立つ直前、ブラウス少女は手鏡を持ち、口紅を塗りなおした。グレーパーカー少女はリップクリームをポケットから落とした。

 

子供の世界は残酷だ。たぶん、特に女の子は。自分の力ではどうにもならない所与によって世界のなかに位置づけられてしまう。親の稼ぎや趣味、教育方針が少女のフィールドを狭める。

大人になれば自分で獲得できる。勉強して、人に会って、働いて、お金を使って、恋愛をして、人は変わっていける。子供のころとは違って、大人は自分の力で世界に居場所を確保できる。世界を広げられる。変えたいという意志と若干の行動力があれば変われる。でも子供が子供のうちは、本当の意味で変わることはできないんだと思う。

 

会計を終え、店を出ようとドアに手をかけたグレーパーカーの少女は、店に入ってくるおじいさんのために、ドアを開けてやっていた。「ありがとう」と言われたのか、少女は照れくさそうに、首を前に伸ばし会釈した。