ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ブログは、ニートだった僕をとりあえずここまで導いてくれた。

変わるのが嫌だった。いまの自分から変化したら、過去の自分を否定することになると思っていたからだ。

 

大学を卒業してから、ずっと働かなかった。大学生のとき就職活動に失敗した、というか、きちんと挑戦しなかった。

気が向いたらエントリーシート書いて、出して、通ったら筆記受け、面接で落ちる。対策しないからだ。面接練習が恥ずかしくてできなかった。友人が「面接練習いっしょにやろうぜ」と言ってくれたのを(たぶん、彼も勇気をふりしぼって僕を誘ってくれたのに)僕は断った。学校の就活サポートにもまったくいかなかったし、僕はぜんぜん就活に熱心じゃなかった。

 

けっきょく、就職したいという気持ちよりも自意識の方が勝っていて、就活仕様の自分に変化するのがイヤだったのだ。変化をイヤがることの方がよっぽどダサくて恥ずかしいことだって薄々気づいてたけれど、薄々じゃダメだった。

 

もちろん内定をもらうことはなく、卒業した。

卒業してからの日々、バイトするでもなく、趣味に逃避するわけでもなく(そもそも趣味がない)、コンビニで買ってきた弁当と菓子をむさぼり、過食にふけった。くだらないオナニーばかりしていた(この世には《くだらないオナニー/まっとうなオナニー》の厳然とした区別がある)。昨日も今日も明日もなかった。延々といまがつづいていた。変化のない日々。

 

それでも、無駄にした日々が積み重なると、そんな時間すらも愛おしくなるもので、僕はこの無為の日々が堆積したうえに、自分の未来がそびえなくてはならないと盲信してしまった。だから、停滞を良しとしてしまった。このあたりの論理の飛躍はなかなか説明しにくいものがある。

過去と断絶して、突然未来が切り拓けてしまうのは、過去の自分に対する裏切りだ、と思いこんでいた。過去の自分を守るために今の自分を殺しつづけた。完全な視野狭窄に陥っていた。

 

僕は、毎月故郷の母が送金してくれるお金で、東京に居座った。母は僕が夢に向かってまい進していると信じ、毎月仕送りをくれた。僕は「ちゃんと就活してるよ」と嘘をつきつづけた。
母も気づいていただろう。それでも、僕がほんとうに動き出すのを信じて待ってくれた。待ちくたびれたのか、母は死んでしまった。その母を、今年ようやく納骨した。

 

僕は東京にひとりぼっちで、誰も注意しちゃくれないし、客観のない世界で、自家中毒になっていた。延々とつづくなまっちょろい地獄のなかで、汚れたベッドの上で、苦しんでいた。

 

そんな僕を救ってくれたのは、このブログだった。僕の転機は書くことだった。

 

この「ひとつ恋でもしてみようか」を書きはじめたキッカケは、ズイショさんのこの記事だ。

 

 

これを読んだ僕はこんなツイートをした。

 

 

僕はこのとき、ブログを書くキッカケを欲しがっていて、ズイショさんのエントリは背中を押してくれたのだった。ほんとうは当時、自分の文章を読まれてチヤホヤされたいという功名心が大いにあった(そういう気持ちがあるから結果としてライターになったわけです)。
けど、「あくまでも『サードブロガー』ですから……」という体裁で始めたかったのだ。誰に向けたエクスキューズなのかもよくわからない、こういうのを自意識というんだ。

 

とにもかくにも書きはじめることには成功した。僕は孤独だったから、けっこう書いた。どうやったらより多くの人に読まれるだろう、と考えたことはなかった。自分の文章はおもしろいはずだ、と独りよがりに思いこんでいて、おもしろがれないヤツがバカなんだと思っていた。

 

ブログを読んでくれた人たちとツイッターでもつながるようになり、僕自身も他の人のブログを読むようになった。自分が書きはじめるまで、ブログを読む習慣はなかった。いろんな人のいろんな日常はくだらないのに唯一無二でたのしかった。

 

あるとき、歌舞伎町でときどきスナックのママに立っていたはせおやさいさんが、「もし人と話したくなったら、遊びに来たらよいのではと思ってますよ」と声をかけてくれた。「このチャンスを逃したら、僕は一生社会に入れなくなる」と思い、意を決して歌舞伎町に向かった。沖縄出身ということだけでも覚えてもらおうと、新宿のどこかのデパートに入ってる沖縄ショップで、サーターアンダギーやちんすこうなどのお土産を買いこんで、緊張しながらスナックのドアを開いたのだった。

 

そこのスナックで出会った人たちが、いまの僕の人間関係のベースになっている。

そして、あのスナックで得た関係は、僕がはじめて学校以外の場所で獲得した人間関係だった。僕はバイトもしたことがない。

 

スナックのドアを開いてからの数ヶ月間で、かつて僕が自分に抱いていた期待や自信みたいなものは打ち砕かれた。僕はほんとうになにも知らなかったし(それはいまでも変わらない)、なにも経験してなかったし、なんのアイディアも生み出せなかった。周りの大人たちはみんなおもしろくて、自分を確立していて、楽しく生きようとしていた。彼らを見てはじめて、自分のくだらなさに気づいた。自意識過剰で、なにも決断できず、経験もせず、ていよく逃げる方法ばかり考えてきた自分の過去を悔やんだ。

 

悔やんだけれども、あのころの僕といまの僕はまだそんなに変わりばえしないんじゃないかと思う。僕はまだ、自意識をかなぐり捨てて、おのれの人生を一心不乱に進むことをしていない。

仕事もするようになった、大して稼げてないのに結婚した。

ブログを書きはじめてから、たった2年弱でこんなに人生は変わった。さあこれからどうしよう、妻とふたり生きていくためには、稼がなくてはならない。そこで僕は「自意識」なんてものにこだわっていていいのか。

というか、僕の自意識は中途半端だ。ほんとうに自意識が高かったら、こんな状態がみっともなくて恥ずかしくて、稼ぐためにもっとなりふり構わずやるはずだろう。

 

スナックで出会ったU次郎さんに「らさくん、ニートアイデンティティにしたらダメだよ」と言われたのが、ずっとちゃんとひっかかっている。

 

ブログは僕をとりあえずここまで導いてくれた、この先は僕が切り拓かないといけない。

 

#わたしの転機

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