ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

『エル ELLE』(ポール・ヴァーホーヴェン)感想文

猫のクローズアップで始まったかと思えばさっそくイザベル・ユペールがレイプされて幕を開ける『エル ELLE』。

 



最近見た衝撃的なレイプシーンはNetflix製作『13の理由』で主人公ハンナ(キャサリン・ラングフォード)がジャグジーで犯されてしまうものだった。瞳から光を失っていくハンナの痛ましさが目に焼き付いて離れない。

ハンナはこのレイプをきっかけに命を絶つことを決意するが、『エル ELLE』のイザベル・ユペールはレイプされた後も淡々と生きる。「淡々と」とはいっても本人は普段の生活の中でフラッシュバックに苛まれる。もちろん深く傷ついている。でも傷ついて立ち止まることはしない。彼女は淡々と犯人探しを進め(犯人は目出し帽を被っていたから誰だか分からない)、仕事やプライベートの問題も粛々とこなしていく。

この映画はとんでもエピソードがてんこ盛りで、例えばイザベル・ユペール演じるミシェルの父親は何十人も隣人を殺した殺人鬼として終身刑に服しているし、母は整形依存で若い男に良いようにたぶらかされている。息子は30歳にもなってアルバイト暮らし、その妻は他所でこしらえた子供を彼との子供だと言い張って金持ちのミシェルから家賃などいろいろせびる。ミシェル自身も会社を共に支えるパートナーであるアンナのダンナと不倫しているし、元夫の恋人に嫉妬して料理につまようじを入れていやがらせしたりする一癖も二癖もある女だ。こわい。


しかしこんなにも話題がてんこ盛りなのに、映画の語りは実にスムーズ。定型的な復讐譚でもなければ、フランス映画っぽい男女のすったもんだでもなく、アンドレイ・ズビャギンツェフ『エレナの惑い』みたいに親族に集られるセレブの悲哀みたいなものでもない。なのにすんなり見れてしまうのは、全編にわたってコメディー的な視線が注がれているからだろう。

パーティー会場で隣人の男といちゃついているミシェルに視線を向ける男たち、明らかに肌の色が違うのに自分の子供だと思い込んでるらしいミシェルの息子、彼らは徹底的に滑稽な存在として描かれていて、エピソードのひとつひとつはえらい深刻なのに苦笑しながら見続けられる。

しかし、この苦笑しながら見ていられるというのは、映画のストーリーを観客に見せつける上では効果的かもしれないけど、レイプからスタートする映画としてはあんまりよろしくないような気がした。

アンナを性欲のはけ口のように利用する不倫男も、甲斐性なしのバカ息子も、頭部から流血して「なぜ?」と問うレイプ犯もことごとく「男ってほんとバカだなあ……」と苦笑させるような軽い存在でしかない。ここにはことさらにかっこよく描かれたイザベル・ユペールと、彼女の周りで滑稽に踊る男たちばかりがいる。
毒親”問題は両親の強制退場によって宙ぶらりんだし、ユペールさんは徹頭徹尾かっこいい。

 

しかし、なんだか、こういう風にかっこいい存在として描かれる女性みたいなのはもう古くないかと思ってしまった。わけの分からない、ミステリアスで神聖視される女性というのは結局のところ男性視線に晒された“彼女”でしかないと思う。

 

男にとっての女が得体のしれないものでありミステリアスであるがゆえに神聖視されるような存在であるのと同様に、女にとっての男もわけの分からない存在なんではないか?

 

しかし実はミシェルの父親こそがそういう得体のしれない、わけの分からない存在になりえたので、そこをもう少し描いたらグッと深みが増したように思うんだよなあ。

 

自分自身は『まなざされる存在』なのだということを、どんな女の子でも、一度は考えたことがあるのではないでしょうか。古来の村で踊りながら、選ばれようとした記憶が蘇る。それは現象として、渇望として。だからこそ、このたった今が、いちばん面白い時代だと思います。すべての女性がカメラを手にしている時代、これは人類史上初めて経験するフェーズといえるから。21世紀に初めて、全ての女の子が、手鏡をスマートフォンに持ち替えた。『まなざす』ことの希望もまた、産声を上げていると感じています。まるで女の子の肉体が、新しく生まれ変わるように

 

ミシェルはエロゲ制作会社の社長じゃなくて映画監督とかプロデューサーだった方がしっくりきたんじゃないか。