ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

モザイク

母はつまようじを使うとき、左の手で口元を隠し、右手に持ったその先端を歯間に潜りこませた。

その様子はなんだか、あるのにないように見せようとする不自然なモザイクのようで、子供の俺は母の配慮を小馬鹿にしたものだった。「モザイクのようで」と思うのは今になってのことで、当時はただ、隠していることの滑稽を笑っていた。だって、どっからどう見てもつまようじで歯をいじくってることはバレバレなんだから。局部だけを隠しても、行為は隠せていない。そのことがおかしかった。

 

恋人といっしょにいても俺の鼻くそは溜まるので、ティッシュを持って鼻くそをほじる。恋人のすぐ隣でほじる。そのとき俺は空いた手のひらで鼻を隠している。ハッとする。つまようじを使っているときの母と同じではないか。鼻隠して鼻ほじり隠さず、滑稽だ。

 

でも大人っていうのはそういうもんなのかもしれないなと思う。

中学生のころの俺は産休に入る先生を見て「あの人セックスしてるのに涼しい顔して『子供が生まれるのでお休みします、進級までみんなといれなくてごめんね』なんて言っている」と、まるで世界の真理に触れたみたいな下卑た笑いを浮かべていた。

しかし、ようやくこの歳になって分かる。大人はセックスの結果は報告しても、セックスそのものの話なんてしないのだ。「子作りしてるの?」って質問したりとか「子作り頑張ってるんだね」なんて感想を述べてはいけない。

歯くそ鼻くそをほじるとき、俺たちは口や鼻を手で覆わなくてはいけない。モザイク大事。