ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

スラッシュ

7月は停滞してしまった感がある。先月いくつか文字起こしの仕事をもらって、俺にしてはけっこうな金額をもらえた。だから浮かれていたが、俺は依然として無職だった。そのことを忘れていた。


昔から調子に乗りやすいタイプだ。なんでいつもこの程度の出来で調子に乗れるんだろうか。なぜ、この勢いのままもっと上を目指そうとならないんだろう。ひとつ達成したらそこで終わってしまう。次回はもっと良い出来になるように、それまで蓄えておこうと思うのに、結局できないのだ。情けない。

 

ちょっと前にあるばあさんが「あんたは良いもん書けるんだから、チャンスが来たときのために、書き溜めておきなさい」と言ってくれて、いたく感動した。こういう励まし方をされるのはとても嬉しい。「がむしゃらになれよ」とか「君はまだまだなんだからがんばりなさい」とかじゃなくて、「あんたは実力があるし、もっと良くなるんだからチャンスが来たとき逃さないためにがんばりなさい」と紫煙をくゆらせながらシャープに見つめてくる強面のばあさんに俺は勇気づけられた。
けど、その後も全然がんばってねえ。

 

変わるためのキッカケは他にもたくさんあった。

 

8月は母の命日がある。母の死だって大きな転機となりえたのに、変わらなかった。『そうして私たちはプールに金魚を、』という映画で、退屈しきった女子高生が「あー親死なねえかなあ」と言いながらアスファルトの上を歩いていた。俺も高校生くらいのころ、そんなことをよく思っていた。


あのころは「親の死」によって自分の人生にスラッシュを打てるような気がしていたのだ。しかし、自分の人生のどの出来事をスラッシュにするかなんて、けっきょく自分次第なんだ。

 

俺はこの8月には長い長い人生の夏休みに区切りをつけたい。長すぎる休符だった。俺はくすぶりすぎた。

 

ここまで書いてようやく、俺が性懲りもなく人生のスラッシュをカレンダーに任せていることに、俺は気づく。

 

先立つものは金で。金金金で、だから金が欲しい。

 

疲れたらタクシーに乗れたり、引っ越したいときに引っ越せたり、野菜や果物が気兼ねなく買えたり、故人の望み通りの葬い方をしてやれたり、映画を観に行ったりすることには金が必要なんだって、俺はようやく分かったんだ。