ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

「ソール・ライター展」雑感

過日、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに「ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展」を見に行った。最終日に行ったらとても混雑していて30分以上並んでようやく入れた。

 

 

ソール・ライターについてはよく分からないため、勝手にエドワード・ホッパーのようなものを想像していったら、ホッパーより全然カラフルで生の喜びに満ちた写真が多くて勝手に驚いた。

 

ソール・ライターの創作スタイルは彼の遺した次の言葉によって端的に要約できる。

 

美術の歴史は色彩の歴史だ。洞窟の壁画にさえ色彩が施されてる。

彼の写真はエドワード・ホッパーのように都会に生きる人間の孤独のようなものを切り取ることよりも、色彩や運動を記録することに腐心しているようだった。

 

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この辺りの写真が好きだった。

当時のニューヨークは今よりも色彩が少ない。冬はなおさら少ない。その中でもソール・ライターは色を捉えている。

彼の撮る色はパキッと決まっている。そこにある色を的確に捉えている。グラデーションだったりビビッドな色を撮るというより、そこにある色をひとつひとつ正確に捉えている印象を受けた。

それは色彩を愛したソール・ライターならではかもしれない。

彼が写真を撮っていた時代は、「モノクロ写真こそ至高」みたいな価値観が根強かったらしい。そんな趨勢にあっても色彩を捉えることに腐心していたソール・ライターは実はもともと画家を志していたらしい。

 

今回の展示では彼の水彩画(?)も数多く並べられていた。彼の筆致はカラフルに踊っていて、目に見えてるニューヨークの景色を撮る時も楽しそうに見えた。

 

ソール・ライターは、軒先で伸びて休んでる犬だったり、ボンネットから(?)飛び降りる猫だったりも撮っている。写される子供はみんな少し不機嫌そうだった。

 

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モノクロ時代の写真ももちろんある。

  

彼の写真は都会に生きることの孤独よりも、ひとつひとつの生を捉えることに終始していた。勝手にエドワード・ホッパーを期待してしまったから、少し物足りなかったが、なかなかおもしろい展示だった。

 

今回の展示では、ソール・ライターの遺した言葉もところどころで紹介されていたので、最後にそこからひとつ引用したい。

 

写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されてる美を時々提示することだ。

 

 

ソール・ライター展の帰り、恋人と友人3人で飲むことになっていたので、犬の写ったポストカードを3枚買った。それを2人にプレゼントして、俺も1枚手元に残した。