ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

Have a Nice Day!×大森靖子 2マンライブ(20170705)感想文

「Fantastic Drag」をはじめて聴いた時、俺はさめざめと泣いてしまった。
こんなことは今までいちどもなかったのだが、1曲を1時間くらい繰り返し聴き続けた。


Have a Nice Day!(ハバナイ)の魅力はその奇をてらったところのないまっとうに美しいメロディーと、永遠を約束するようにループされるトラック、そして浅見北斗の書くロマンティックな歌詞にある。
例えば「Blood on the mosh pit」。

ビヨンセの”Put your hands up!"の声がループされる中でキラキラのシンセの音色がこだまする。そこで歌われる歌詞は「I’m dancing フォーエバー 燃える夜に抱かれて、バラ色のウソとキスを重ねる」だ。ここには確実にファンタジーがある。
これは大森靖子が歌う「ノスタルジーに中指立てて、ファンタジーをはじめただけさ」(「音楽を捨てよ、そして音楽へ」)と重なり合う。大森靖子ハバナイ・浅見北斗は同じエモーションを共有している。

 

まず《バラ色のウソとキス≒ファンタジー》だと言ってみる。あるいはファンタジーはロマンスと言い換えてもいい。
昔あるオッサンが「俺は小説は読まないんだよ。つくりごとがダメなんだ」と俺に言った。彼は昔話をするのが好きだった。その頃の俺はまだ若かったから、そのオッサンのことを端的に「ダサい」と思った。しかし俺がこの文章を書いているブログの別記事を少しでも読んでもらえば分かるように、今となっては俺もあのオッサンと同じだ、昔話ばかりしている。
ノスタルジーは慰みにはなるが癒しにはならない。ましてや、ノスタルジーによって未来を切り開くことはできない。
ウソ、ファンタジー、つくりごと。これらのフィクションなくして俺たちは未来をつむぐことはできない。現実はクソだから、俺たちにはファンタジーが必要だ。浅見北斗はインタビューでこう言う。

けっこう今、音楽に対してみんな夢を持ってない。希望がない時代だと思うんです。だからこそ俺はやりやすいかな

とにかく切実で生々しいモッシュピット - Real Sound|リアルサウンド

 

もちろん、この現状認識に違和感を持つ人もいるかもしれない。「心から音楽楽しんで、音楽に希望と夢を託しているヤツだってたくさんいる」などと思う人はいるだろう。でも、少なくとも浅見北斗の目には、《ディストピア》の感覚が広がっていく日本が映っている。
俺はモッシュピットを必要としているし、これまでの「音楽」を捨て、新たな音楽を手に入れたいと欲している。「アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ」(「hayatochiri」)と歌う大森靖子と、《ディストピア・ロマンス》のBGMの担い手であるハバナイ。この2組がつくった「Fantastic Drag」というアンセムは、俺の涙腺をがっちり締め上げて涙を流させる。


シティポップなんて手垢にまみれた言葉が現在においてけっきょく再浸透しなかったのは、今がディストピアだからだ。無垢に信じられる「キラキラ」なんて、もうこの街にはこれっぽっちもない。
俺たちは、ウソとファンタジーとつくりごとの中に、それと知りながらも身を投じるしかない。あるいは自らウソやファンタジー、つくりごとをつくりあげるしかないのだ。
これはウソに気づかないフリして「踊らにゃ損」ってな具合に踊らされるのとは全然違う。
己の信じられるウソとファンタジーとつくりごとを信じ抜くために、モッシュピットに飛び込み、声をからし、体をぶつけあい、血を流す。その姿はボロボロで時には悪臭すら放っているのだけれど、それでもやっぱり美しい。真実ではなく、信念が昇華している。信じれば真実になると口で言うのはカンタンだ、そんなことは誰にだって分かる。だから血を流しながら信念を貫くさまを見て人はそれを尊いと感じる。


「Fantastic Drag」で大森靖子は「考えない 踊る 動じない 踊る 踊る踊る踊る踊ることすらルーティーン からだがあるあたし カルチャーじゃない」と歌う。
このフレーズをどうしても生で聴きたかった。エモと死のぎりぎりを描く歌詞を生で感じたかった。踊れない街で踊るための、ノスタルジーにまみれた街でファンタジーを始めるための糸口が、そこにはあるような気がした。俺にも何かできると思いたかった。
だから7月5日、Have a Nice Day!×大森靖子の2マンライブに行った。


大森靖子はステージの幕を潜って出てきた。そのままマイクを掴みアカペラで新曲を歌い始める。「ブラジャー」という単語だけ覚えている。この登場演出にたまげてちゃんと曲を聞けなかった。あと、この日のワンピースがステキで、二の腕に見とれてしまった。
ギターを持って「hayatochiri」(「アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ」)、「SHINPIN」(「パーフェクトーキョー」)とつなぐ。どちらも浅見北斗に向けたメッセージだろう。
「Tokyo Black Hole」を経て、女子とオッサンのコールアンドレスポンスでおなじみの「絶対彼女」で「このハゲ―!!!」と時事ネタを放り込み、張り詰めていた緊張が溶けた。「ミッドナイト清純異性交遊」でフロアにファンの手に握られたピンク色のライトがちらほらと灯り出す。この日のステージ照明はあまり良くなかったから、フロアでピンクがきらめいたのは良かった。
しかしこのキラキラも「M」によって静まり返る。

 

強く強く生きるのは どうしようもなく恥ずかしい
若くて ダサくて 不器用で 傷だらけだから美しい

「M」『kitixxxgaia』ガイア盤収録曲

kitixxxgaia(CD2枚組+DVD)

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「Fantastic Drag」と姉妹関係になってしまったのが案外この「M」という曲な気がする。
「本当は私を少しでも好きになってくれた人みんなとセックスしたかった」だったり「人生を少し くれたら 私の愛は全部あげる」と歌う「M」の主人公と「キラキラはもう嫌い 孤独なんだこれわかんないでしょ キラキラはもう嫌い でも求められたらやめられないんだ」と歌う「Fantastic Drag」の主人公は重なる。


そして「ノスタルジック J-pop」のイントロを弾いた直後に大森靖子「キラキラ」を歌った。いちど曲を始めたあとで何も言わず別の曲を始める大森靖子を俺ははじめて見た。たしかにこの日の最終的なセットリストを眺めた時、「ノスタルジック」よりも「キラキラ」の方が圧倒的にいい流れだ。だからこそこの「ノスタルジック」のイントロを弾き始めたのが強く印象に残った。そこまでしてこの日の大森靖子は《ノスタルジック》を殺したかったのだろうかと勘ぐってしまう。
この日いちばんグッときたのが次の曲「PINK」だった。この曲を彼女はフロアの観客に背中を向けて歌いきってしまった。古参の方いわくこのパフォーマンスは約5年半ぶりらしい。


ライブでお客さんひとりひとりの表情を見るのが好きだと公言する彼女が背中を向けるのはよっぽどの思いがあったからか。それとも、MCでも言っていたように懐かしい顔が客席や共演者、裏方に多かったから、むかしのパフォーマンスが再来したのか。あの時の大森靖子はどんな表情をしていたのだろう。
続けて浅見北斗が大森靖子の楽曲を意識するきっかけとなった「マジックミラー」を歌い、「さようなら」のアカペラでライブを締めた。


ハバナイのライブが始まる。俺よりもハバナイに心酔している恋人に酒を供給するため、そして俺自身舞い上がっていたのもあって、バーカウンターに足繁く通いつつ聴いていた。
「ゾンビパーティー」「LOVE SUPREME」で時々モッシュピットに入ろうとすると、人の波よりも少し外側にいる観客が笑顔で俺を押す。それに後押しされて中で思い切り声を上げ拳を上げ体を動かすのだが、運動不足の俺には長時間そこに身を置くのは難しい。
そしてフロアのモッシュピット以上に、ステージで歌い踊る浅見北斗の運動量は凄まじかった。ゆえに後半はスタミナが切れているようにも見えて、それは全力でやっているがゆえの代償だろう。中距離走で前半ダッシュに近い勢いで走り後半バテてごぼう抜きされた昔の俺を思い出した。「たぶん、ロックンロールってある種ルーザーな、負け犬の音楽みたいなところがある」と言う浅見北斗らしいライブパフォーマンスに、俺自身の来し方を重ねてしまった。ルーザーに必要なファンタジーを求めに来たのに、かっこわるい過去を思い出してしまった。しかし負けっぷりのかっこよさでは、俺はとことん差をつけられている。


この日のクライマックスはやはり「Blood on the mosh pit」→「Fantastic Drag」→「マーベラス」だった。
「Blood~」でたまらずモッシュピットに駆け戻る。声の限りに歌い叫び、うねる人波に身を投げ、俺自身、波を生み出すエネルギーの1個になるため体を弾けさせると、乾いた汗も瞬時に吹き返す。
そして「Fantastic Drag」が始まった。大森靖子が出てくる。
しかし正直に言って俺はこの時のステージをほとんど覚えていない。涙を目に浮かべ、汗を流して声を張り上げ、ピンクのライトを振り上げるので必死だった。そうせずにはいられなかった。ようやく生の爆音で聴けた喜びでいっぱいになり、ただその瞬間を生きるので精一杯だった。だからフロアにダイブした浅見北斗が、大森靖子が差し伸べた手に支えられてステージに帰還する名シーンをこの目で見ていない。

 

しかし惜しいことをしたという後悔はない。おそらく俺はこの時生まれてはじめて、自意識から逃れ、ただただ音に身を委ね、自分の感情に体を徹底的に支配される経験をできたからだ。まさにファンタスティックに引っ張られた。そんな経験ができてしまったら、映像しての記憶なんかなくったってかまいやしない。ウソやファンタジーやつくりごとを通じて、一瞬、ほんとうに触れたのだ。


その後、大森靖子もバンドメンバーもはけて浅見北斗ひとりで「マーベラス」を演奏するのだけれど、これがもうグッダグダだった。俺は「マーベラス」という曲が本当に好きだ。ライブ前日、仕事でヘトヘトになった帰り道にこの曲を聴いて、千代田線から半蔵門線に乗り換える通路を泣きながら歩いたくらいに好きだ。だからライブでもベストのパフォーマンスを期待してしまったので、うっすらと怒りすら感じてしまった。
けれども、そもそもこの曲は浅見北斗がいなければ俺は聴くことすら叶わなかったということを思い出した時、俺は悔しくてたまらなくなった。浅見北斗に完敗だった。浅見北斗は東京のアンダーグラウンドを歩く俺のBGMをつくってくれたのだ。ひれ伏そう。

 

 

最後に大森靖子のMCをOTOTOYライターの前田純三さんのツイートを引用する形で紹介します。

 

そういえば2016年、ハバナイのワンマンにゲストで出演した大森靖子は浅見北斗にこんなツイートをしている。

 


 

「Fantastic Drag」が発表された時、まだハバナイはセルアウトしていないのに、大森さんがコラボすることにほんの少しだけ疑問を持った。もちろんいい曲が聴けたからそれだけで大満足なんだけど、それでもやっぱり大森さんのMCを聞くまで、ほんの少しの疑問は消えてなかった。
しかしこの日ようやく分かった、浅見北斗の「寂しい思いはさせないぜ」に大森さんは支えられていたのだ。
東京のアンダーグラウンドから「ウソとキス」をそして「ファンタジー」を始めるための共闘が、あんなに美しいアンセムというひとつの結果を産んだことを、俺はただ喜べばよかったのだ。

大森さんはすでに答えてくれてたんだった。

 

 

「Fantastic Drag」に引っ張られてルーティンの踊りから開放された時、俺はどんな踊りをしていたんだろう。

 

Fantastic Drag

Fantastic Drag