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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ツキ

さっき見たおぼろ月は寺の屋根の上にもんもんと浮かんでいて頼りなかったけど、今はしっかり夜空に張り付いている。宇宙に浮かんでいる、というよりも夜空に穿たれたのぞき穴みたいだ。神でも仏でも死んだ母親でも誰でもいいのだけれど誰かがあの穴の向こうから僕の生活のすべてを見ていたらとても恥ずかしいと思うがそんなことはありえないから、この思いつき自体がさびしい。見られたくないけど見られたい。見られたいけど見られたくない。

 

次の満月を夜通し眺めてやろうか。でも飽きやすい僕にそんなこと続けられないし、それどころか僕はこのロマンティックな思いつきを明日には忘れる。

 

 

小さいころ、宇宙の図鑑を買ってもらってよく読んでいた。まさに天文学的数字で表される宇宙の大きさ、そのなかで流れた時間の長さに興奮すると同時に、宇宙はいつか大きくなりすぎて破裂するか、ある大きさまでいくと今度は縮んでいきやがて消滅するか、そのどちらかの運命を辿るという文章に怯えた。

他にも恐い言葉があった。その運命が訪れる日はもっとずっと未来のことなので、私たちが生きているうちには破裂も消滅も起こりません、というような言葉だ。「私たち」のなかに、僕らの子供は入っていないのだろうか、と思った。

かつての僕は、いまの僕よりも優しかったのだ。

 

図鑑を読みだしてまもなく訪れる誕生日に天体望遠鏡をねだって買ってもらったが、そいつはいちども光を映すことなく倉庫に片付けられた。堪え性のない僕はそれを正しく使うために辛抱できなかったし、買い与えてくれた父は「これ壊れてるんじゃないか?」と言ってそれで終いだった。

 

幼いころ父が読んでくれた『パパ、お月さまとって!』という絵本が好きだった。このしかけ絵本のなかで娘に月を取るようせがまれた父親。折りたたまれた紙を本の上に広げていくと、その父親はハシゴを登っていった。天高く伸びたハシゴは月に届いてしまう。たぶんそんな感じの絵本だった。結末とかは覚えていない。

本来絵本という四角い枠の中で完結するはずの物語が、ページの外に紙を広げることによって拡張していくさま、そしてその自由な発想が好きだったのかもしれない。

 

宇宙飛行士になりたい、小学校低学年のころ確かにそう言った。天体望遠鏡をいじるのにもすぐ飽きたのに、星座を覚えようなんて全くしなかったのに、それでもなぜだか宇宙飛行士になりたかった。

しかし僕はあまり視力が良くなかったので、母は「目が悪い人は宇宙飛行士にもパイロットにもなれないよ」と言った。それはテレビゲームばかりして視力が悪くなっていく僕に対しての注意だったのだが、「宇宙飛行士にはなれない」という言葉をただ鵜呑みにした僕はその夢をいとも簡単に諦めてしまった。

 

小学校の卒業式、証書をもらう前にマイクに向かって自分の夢を宣言させられた。みんなの前で夢を言うなんて恥ずかしいと思った僕はテキトーにお茶を濁すために、「父の跡を継ぎたいです」とウソを言った。いまはもう、そのころ夢見たものを覚えちゃいない。

 

「お天道様は見ているよ」と言うけれど、僕はお月様に見られている気がする。見つけてほしい……?