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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

《いま》

日記

目が覚めたので朝っぱらに書く。

 

今朝(2月14日の朝)、父が末期ガンになる夢を見た。おまけにその夢は、父が死ぬ直前、母まで末期ガンを宣告されるという救いようのないものだった。夢のなかの母は、俺が思っていたよりずっと気丈に振る舞った。

 

さっきのは夢の話である。死の間際にあった実際の母がどんなふうだったのかは、まだ父に聞けてない。すごく聞きたいのに、聞けない。

父は心を病んだことがある。今だって、いつぶり返すかわからない。だから、彼の心を乱すような問いはなかなか容易にはできない。母の最期の言葉を聞いたのは父だから、彼の心情は察するに余りあるので、なおさら聞けない。いちどは愛した女の死、曲がりなりにも最後まで共に一家を守ったパートナーの死、に直面した父に、その最期の光景を思い出させるのは、俺だって気がひける。父のことがわからないから、なおさら億劫になる。

 

突然の発作に気を失おうとする母は、ただただ痛がっているだけだったと、母が死ぬ直前、父は言った。そのときの父はかなりの錯乱状態だったので、父の伝えてくれた「母の最期」は、いまでもあんまり信じられていない。

死を目前にした母は、俺たち子供のしあわせを願うに決まっている、と思ってしまうのが、いまの俺だ。

 

 

歯を剥き出しにして父母の死を願ったこともある俺なので、2017年2月14日の朝、夢から覚めてかなしくなることはなかった(ちなみに、母の死は1年半も前のことである)。でも、前にも母と父が同じ棺桶に入って焼かれる夢を見たことがあるから俺は、両親へのこだわりが捨てきれない自分を自覚して、だからこそ目覚めて少しだけ落ちこんだ。俺は物理的にも精神的にも両親から離れられていない。離れたいとは思うのだけれど、ずっとベッドに張り付いた俺の背中をシーツから剥がすのは、なかなか難しい。

 

 

オチなんてない。こんな状態をオチにしたくないから。

ドラマ版『火花』のラストはつぎのようなセリフで締めくくられる。

 

「生きている限り、BAD ENDはない。僕たちはまだまだ途中だ」

 

 

 

この文章は、東京のどこかで、《いま》生きている人によって書かれた。「いまを生きる」人ではない。いま生きている人だ。