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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

風船

日記 雑記

橙色のゴム風船が駅東口の吹き溜まりで風に巻かれ行き場をなくしていた。仕事に向かう恋人を改札で見送り、自宅に戻るときに見た光景。多分どこかの店頭で柱なんかにくくりつけられていたやつが、なにかの拍子で転がってきたんだろう。なんとなく目が離せなくて、駅に向かう人たちの流れのなかで、立ち止まってしまう。

 

うんと幼いころ、父とふたりで祭りに行った。父は風船を買い与えてくれた。帰り道、嬉しくてその青い風船を振り回した。すると手から離れた風船は、夕焼け空に飛んでいってしまった。嬉しかった分、とても悲しかった。父は慰めるどころか僕を叱った。怒鳴られたのは、あれが最初で最後だ。300円もしたんだぞ、と言われた。

あれから20年以上経った。あの風船の何百倍もの金を父は毎月送金してくれる。

 

飛べる風船と飛べない風船とがある。中に何が入っているかで、そいつが飛べるかどうかは決まる。そいつのなかに空気より軽い気体、水素やヘリウムを入れて膨らまし、あなたが手を離したなら、その風船は天高く飛んでいく。もしもそいつのなかにあなたの呼気が入っているなら、手を離せば地面に落ちる。どちらの風船も針でひと突きすれば破裂して二度と元には戻れなくなる。気体を入れすぎても同じだ。

 

風の船、とは粋な名だ。「風船」は元々、気球を言い表す言葉だった。それがおもちゃとしての「ゴム風船」を言い表す言葉になったのは、ウィキペディアによれば1929年のこと。巌谷小波という人の書いた童話『風船玉旅行』がブームになったからだという。「ゴム風船を沢山つけた子供が冒険する話」とある。この童話を翻案、というか大胆にリライトしてできたのが『カールじいさんの空飛ぶ家』である、というのは僕がいま思いついたつまらないウソ。

 

風船というのは元々、乗物を言い表す言葉だった。風船イコール移動だった。

しかしいま「風船」と聞いて僕らが思い浮かべるのは子供を喜ばせるゴムのそれだ。ふわふわ飛んでいくか、地面を転がるか、破裂するか。

 

「風船玉」という言葉もある。ふわふわして落ち着かない人のたとえだ。僕は、ふわふわして落ち着いていない人なのか、それとも、針で突かれてしまった後の死骸なのか、どちらだろうか……どちらでもない。

父の仕送りでパンパンに膨れ上がりつづけている。父の口が僕を離さず、そこから吐かれる息が僕を膨らませていく。そうだとしたら、破裂する前に逃げださなくてはならない。でも、どうやって逃げればいいのだろう。父が口を離した瞬間、最後っ屁の暴走をした後で、そう遠くはない場所で完全にしぼみ、僕は地面に横たわるだろう。誰かの手を借り(もちろん父の手でも良いわけだが)、僕の口を結んでもらわなくてはならない。そうしなければ何も始まらない。

 

 

最近、恋人のまえでよく泣いてしまう。思わぬところで泣いてしまう。自分で思っている以上に自分はパンパンに膨らんでいた。口を結ぶ前に、話さなくてはならないことがたくさんあるらしい。少しずつ吐いて、適切な大きさになったら、いっしょに飛んでいきたい。できるだけはやくできるだけとおく。