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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

節分

日記 雑記

節分が好き。他の年中行事と比べて、資本主義に乗っ取られていないし、幸福なひとたちが浮かれるというよりも、幸福になりたいね、とか、幸福でいつづけようねといったニュアンスがある、いや、というよりも、最低でも不幸にはならないようにね、みたいなコンセプトが好きなのかもしれない。そんなコンセプトではないのかもしれないけど、俺はそう捉えている。

 

唯一資本主義の魔の手が口にねじ込んでくる「恵方巻き」もアホらしくてハッピーでパーティー感ある食べ物なので好き。ひとり暮らしでも、コンビニで気軽に買って行事を味わえるのがいい。門松とかツリーとか、鏡餅とかクリスマスケーキとか、わざわざ飾らないし、ひとりで買って食べるのもちょっと勇気がいる。その点恵方巻きは心強い。恵方を向いて黙々と食ってりゃあなんとなく良いことした気分になれる、いろんな具材が米に巻かれていてとてもおいしい。

俺は、ひとりきりでも豆まきだってする。翌朝豆を踏んでイヤな気持ちにならないように、落花生をまく。大豆よりも片付けが簡単でいい。ベランダにもひとりでまく。こればっかりは少し勇気がいるけれど、やっぱり良いことをした気分になる。

 

お正月とかお盆、ひな祭り、端午の節句、クリスマスってのは自分のためじゃなくて、家族や親戚との関係があってはじめて成立するイベントだ。対して現代の節分は(節分に対する歴史的理解はないのでこのまま進める)、自分の一年の前途に災難が立ちふさがらないことを、そしてあわよくばちょっとした幸福がやってきてほしいなと、ひっそり願うことのできる行事だ。

黙って太巻き食ってれば、「鬼は外、福は内。鬼は外、福は内」とひとりごちて豆まいてれば、ひと仕事終えた気分になって、ささやかな幸福が自分のもとにもやってくる気がする。だから、コンビニが恵方巻きを売ってくれてることをとてもありがたく思う。千葉県もありがとう。

 

 

あと、なんだかんだで、幼いころの俺にとっても、節分はいいものだった覚えがある。

お正月は父が家に居座ってるから母が少しイライラしていたし、こどもの日にはなぜか遊園地に出かけるのが恒例でその道中の車内で両親がケンカしてた記憶があったりする。お盆には父の実家でイヤミを言われる母がかわいそうだったし、クリスマスにディナーを食べに行ったらメシが出てくるのが遅すぎて父がキレてた。もちろんそれぞれ楽しい記憶もあるけれど、イヤな思い出もある。

それに比べて節分は、父親自ら鬼の面を被ってくれてそれに向かって思い切り豆をぶつけられて楽しかった。「お父さん」はふだん家族に影で疎まれていた。「鬼は外」。「鬼」が門を出て角を曲がって見えなくなるまで豆を投げつける。

豆おいしくないーイヤだーと言いながら年の数だけ食べるのは実はそんなにイヤじゃなかったりする。イヤなフリをするのがたのしい。食べなさい、お母さんなんか35粒も食べるんだよ、なんて言われるのが愉快だった。俺もはやくたくさん食べれるようになりたいと、あの頃は思っていた。

 

 

節分ってとてもいい行事だと思うし、廃れる気配もないけど、節分を題材にしたポップミュージックってないんだろうか。金にならない行事のためのポップソングなんて、もったいないからつくらないのかしらん。