ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

かなしみだけ覚えていたい

帰京して3週間近く経ったのに、まったくブログを書かなかった。体調が悪かったり、治ったり、遊んだり、少しだけ(ほんとうに少しだけ)働いたり、寝てばかりいたらあっというまに3週間近く経った。いろいろなことがあったし、いろいろなことがなかったけど、まあそれなりにたのしい。「それなり」というのは照れ隠しのようなものだろうか。まあ、たのしくない時間もあるから「それなり」と書いただけで、あんまり意味はない。でもやっぱり、「たのしいね」って言ったり言い合ったりするのは、ごく親しい人との秘め事のような気がして、あんまり人前にさらけ出したいとは思わない。俺は他人とは情けなさとかみっともなさとか苦しさみたいなマイナスの感情によってゆるくつながって、共感しあったり慰めあったりしたい性分なのかもしれない。だから、たのしい話をここに書こうとはあんまり思えない。

 

しかし、たのしいことも書かないと忘れてしまうのでそれはとってももったいないような気がする。書いたって忘れる俺はもちろん書かないともっと忘れるので、書いた方がいいと思う。たのしさは、ブログ以外のスペースに刻んでいけばいいんだろうか。でも、誰にも読まれない前提で何かを書けるようなストイックさは俺にはないし、ただただひとりで言葉と戯れてるのがたのしい、みたいな気持ちもない。怠け者で、つまらない人。じゃあ「たのしい」はどうやって覚えようか。

 

まあそもそも別に覚えなくたっていいのかもしれない。記憶のなかの「たのしい」は、「たのしかったな」、「たのしかったね」になるわけで、そんなこと言っているよりも、「たのしいな」、「たのしいね」って言いつづけてる方がずっといい。だから、あんなにたのしかったのにもう忘れちゃったの?とか言いたくないし言われたくない。そんなこと言わせないでほしいし言わせたくない。もちろん「たのしかったね」って言い合うのがたのしいってことも多々あるけど、いまはそういう話してるんじゃない。

 

たのしかったことより、かなしかったことを覚えていたい、と思った。たぶん俺は、自分のかなしみを忘れたくないし忘れてほしくないから、辛気臭いことばかりブログに書いてきたんだと思う。

たぶん、そういう人は少なくないんじゃないか。自分のあんなにかなしかった気持ちを、なんでお前はすぐに忘れるんだよ、酷いじゃねえか。

 

俺は、自分のかなしみには敏感だけど、人のかなしみには鈍感だ。その人をかなしませたのは俺なのに、忘れてしまってることは少なくない。いや、「多い」とハッキリ言ってしまおう。酷い人間だと思う。だからこれからは、かなしみだけ覚えていたい。そのために書いていたい。たのしいなたのしいね、と笑いながら、その笑顔の裏でお互いにかなしみを湛えているなんて、めちゃくちゃかっこよくない?

 

あーでも、「たのしい」が過去になっていくのは「かなしい」ので、「たのしい」を書くこともまた「かなしい」を書くことと同じなのかもしれない。うだうだ言ってないで、なんでもかんでも書きゃあいいんだよ。