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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

足場

日記 雑記

朝、完璧な眠りに落ちかけたところで、ベッド脇の大きなガラス窓が乱暴に揺れて目が覚めた。窓の揺れる音と共に「すみません!すみませーん!」と大きな声もする。

 

1ヶ月ほど前から、このアパートは四方を鉄の足場に囲まれ、布を被された。外壁工事が行われている。

この日は作業員たちが各部屋のベランダに上がり込み、網戸を外してなんらかの作業をするらしかった、前日アパート入口の掲示板で確認したから知っていた。

 

外から網戸を外すために、我々住人は部屋側についたロックを外す必要があるらしい。掲示板の貼紙が、赤字で知らせていた。

なのに、俺はそのことを忘れていた。だから、作業員はこの窓を叩いている。

働く彼と横たわる俺の距離は50センチもないだろう。その間には窓ガラスがあるだけだ。気まずい。

 

俺が寝返りをうつたびに布団が擦れてカーテンが揺れるし、何より室外機が回っていたから、作業員は、俺が部屋にいるだろうと察しがついたはずで、だから窓を叩いてる。俺が、と言っても、彼は俺を見たことがないから「俺」が俺であることはわからないに決まってるけど。作業員にとっての俺は、ただの見知らぬ一住人だ。でも、もしかしたら毎日昼間に鳴らすニートな俺のいびきや、寝起きにしごいたときに揺らめくカーテンのささやきで、この部屋には引きこもりがいるかも、くらいは思っているかもしれない。

まあそんなことはどうでもよくって、とりあえず眠りにつくところでひどい顔をしていた俺は、作業員を無視することにした。

あと、まだ見ぬ彼がひどくこわかった。たまにこの部屋で金縛りにあうたび見聞きする幻覚幻聴が決まって、酔っぱらったヤンキー大学生数人がベランダに忍び込んで窓を蹴破ろうとしているイメージだったのと、無関係ではないだろう。

 

数分間、作業員にシカト決め込んでカーテンを揺らさぬようジッとして、咳き込みそうな喉をなんとかなだめていた。

そうしたらいつのまにか作業は再開されていた。作業員が網戸と格闘するガシャガシャという音が聞こえたので、なんだ取れるんじゃねえか、と思いながら眠った。

 

起きて支度をしてアパートを出たとき、作業員たちは見当たらなかった、昼飯でも食べに行ってたんだろう。地面は雨に濡れていた。いい匂いがした。

 

帰ってきてカーテンを開けたら、網戸はベランダで寝ていた。ガラス窓には「シール打ち立てご注意ください」と注意書きが貼り付けられていた。なんのことかわからないが、ベランダに出なければ問題ないんだろう。

 

 

音楽を聞きながら寝てしまっていた。ぼうっとしていると、強い風の音がした。帰り道にもビュービュー吹いてたが、いまはもっと強くなっている。

部屋が暑いのか自分だけが熱いのかわからないがほてっていたので、窓を少しだけ開けた。雨の音がする。アパートを包んだ布が、バタバタと鳴る。鉄の足場がきしむ。テントのなかにいる気分になった。

 

むかし友人たちと浜辺にテントをたてて眠ったときも、こんな音がした。

あの夜が明ける寸前、満ちてきた海がテントに入ってきた冷たさで、俺たちは目を覚ました。何も考えていない馬鹿だった。海には潮の満ち引きというものがあるのを忘れていた。テントを波打ち際から離したころにはすっかり目が覚めてしまったから結局そのまま後片付けをした。

 

 

工事が始まってすぐのころのとある朝。アパートの共用スペースの手すりをくぐって足場に降りたった。カンカンカンカン、カンカンカンカンと階段を上り、このアパートに住み始めてから、はじめて屋上に出た。

 

俺の住む階からは、遠くかすかに六本木ヒルズや東京タワー、ドコモタワーの頭が見えるのだが、屋上からはもっとちゃんと見えた。

いつもより 少し高いところに上がっただけで、見える景色は一変した。

 

アパートの周りの建物より高くなった俺の視点からは、朝が夜を塗り替えていくのが鮮明に見てとれた。引っ越した当初目印にしていた近所の赤白鉄塔のうえを、黒い鳥が3羽飛んでいた。反対側では長い電車が景色を横切っていた。

その朝俺が踏んでいたコンクリートの床は、いつも横たわっていた俺の天井だった。

月と太陽が等分に空を担っている瞬間を知ったあの日から、何かが変わったのような気もするし、変わらないようでもある。

 

 このアパートの外壁が再び日の目を見るとき、俺はまだこの部屋にいるんだろうか。屋上からの景色を見れて、この部屋に住み続けることへの未練はなくなったと思う。

 

物語にはもう十分恵まれた。