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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

顔面を蹴り上げる男 ~給食当番制反対~

雑記 音楽感想

人生でいちどだけ、顔面を蹴り上げられたことがある。

 

中学3年生。それまでゴミ袋に放り込むだけだった牛乳パックを、リサイクルのために、きれいに洗って広げて干して乾かすというルールができた。
それは大して面倒なことではないのだけれど、そういう改革に対しては「面倒くせえな」という態度を決め込んだ方がかっこいい、みたいに考えるのが男子中学生という生き物。だからみんな「めんどくせえ、ああめんどくせえ」と言いながらしぶしぶ牛乳パックを洗っていた。

 

ある時、ジャンケンで負けた奴がこれから卒業までの半年間、ジャンケンに参加した人の分全部処理しようぜ、ということなった。
クラスの男子7〜8人でジャンケンしたら、ひとりだけ拳を握っていて、俺は負けた。

 

クラスでいちばん威張っていた人間は、俺と同じサッカー部の人間で、サッカー部でいじられることの多かった俺は、自動的にクラスでもいじられた。というか、いま思えばそれはほとんどイジメだった。
先生が風邪で休んで自主学習になった数学の授業時間、どういう経緯だったかは忘れたけれどとにかくベランダに追い出された俺はそのままガラス戸を閉められ締め出された。
ガラスの向こうで、サッカー部や野球部の彼らは笑っていた。ノートに俺の似顔絵を描く人間もいた。「このキモい動物の生態は〜」みたいな声があちら側から聞こえた。俺は、檻の中の動物みたいに、大勢のクラスメイトの視線にさらされつづけた。彼らは、寝ている動物にちょっかい出すみたいに、うなだれる俺に「面白いことしろよ!」と声を浴びせかけた。
ガラスの向こうには当時好きだった女の子もいた。彼女が、俺の観察には加わらずに、女友達と話し続けてくれてたことが、不幸中の幸いだった。

 

でもまあ、そういう行き過ぎたイジリ(≒イジメ)は散発的なもので、別になんともない時間も多かった。
彼らの輪に入りたがってたころはいじられがちだったけれど、彼らみたいな馬鹿とは付き合ってられん、俺は頭の良い高校に合格してあんなアホウたちとは袂をわかつのだ、と切り替えてからは、いじられることもだいぶ少なくなった。
俺がジャンケンで負けたのはちょうど俺の気持ちが、中学の人間関係からまだ見ぬ希望に満ちた高校生活に移り変わったころだった。

 

いまに思えば、彼らは全員で口裏合わせて手のひらを広げたのかもしれないと思うけれど、あのころの俺は存外素直で、いや、というより、口裏を合わせてるかも、と疑ったところで、証拠がなければどうしようもないわけで、だからまあなんとなく釈然としないながらも、牛乳パックの処理当番に就いたのかもしれない、もうよく覚えていない。

 

俺はもともと乳製品が嫌いで、牛乳をようやく克服したくらいの時期だったので、牛乳パックを洗って開くのはなかなかしんどかった。容器の内側にも触れなきゃならないのはつらかった。
牛乳に触れるだけで鳥肌が立つみたいな感じだった。でも「負けは負け」と結果を受け入れ、7〜8人分の牛乳パックを渋々片付けていた。

 

しかし、どうしても手を付けるのが億劫な紙パックが、いつもひとつだけあった。
それはクラスで最もイキってる男のもので、彼は嫌がらせのように毎回牛乳パックをきれいに畳んで俺によこしてきた。
他のみんなは、牛乳パックの口を完全にあけて渡してくれたのに、彼はいつも小さく小さく折りたたんだそれを、俺の机のうえに放った。
牛乳に触れるのも嫌な俺は、彼の口がついた飲み口を自分の手で開くのが本当に嫌だった。だから毎日「ちゃんと開いてから渡してくれよ」と頼んだ。それでも彼は、「癖なんだからしょうがねえだろ」とうそぶいた。


2週間くらいは我慢したと思う、明日こそそのまま渡してくれよと毎日毎日言いながら、彼が飲み干したたみ尽くした牛乳パックを、顔をそむけつつ開き、洗って開いて干した。でももう限界だった。
馬鹿にするのもいい加減にしろ、と本気で思ったのは、あのいちどだけかもしれない。

 

その日の俺は「今日はもう洗わねえからな」と言って、俺の机に放られた牛乳パックを、彼の机のうえに戻した。そして、残りの人たちの分を持って流し台に向かった。
いくつもの牛乳パックを洗っていると、後ろから奴がやってきた。彼は小さく折りたたまれたパックを、蛇口の下に投げつけた。
それをつかんだ俺は、それを彼の足元に放る。彼はそれを拾いまた流しに投げつける。それをまた彼の足元に放る。そんなことを何度か続けていたら、彼の放った牛乳パックが流し台に入らず、地面に落ちた。
地面に落ちた牛乳パックを拾って彼の胸元に投げつけようと思いしゃがんだ俺の脳みそが急に揺れた。目の前が真っ白になる。何が起こったのかわからない。気づいたら顔を押さえてうずくまっていた。
顔から手を離すと、手のひらには鼻血がついていた。しゃがんで下を向いた俺の顔を、彼はティンバーランドのスニーカーで思い切り蹴り上げたのだ。
彼は謝るなんてことを知らないから、そのままガラス戸を乱暴に開け閉めしてどこかへ消えていった。


さすがに心配したクラスメイトがトイレットペーパーを持ってきて俺に手渡してくれた。そういえば、こんな風に殴られたり蹴られたりした思い出はいくつもあるのだけれど、先生が駆けつけてくれた記憶はあんまりない。
もしかしたら、あの鼻血を見た瞬間に俺の中学時代は終わったのかもしれない。
もういいや、と思った。こんな人間と理解し合おうなんて不可能だから、より頭の良い連中が通う学校に逃げようと思った。
ジャンケンで負けたころに高校に希望を見るようになったのではなく、ジャンケンで負け顔を蹴りあげられたから高校生活のことだけを考えるようになったのかもしれない。いまはもうよく覚えていない。

 

結果、受験は無事成功し、それなりに楽しい高校生活を送り、一年の浪人期間を経て、大学入学に伴い上京し、4年半かけて卒業し、2年以上ニートをやっている、それが俺。

 

最近、必要にかられてFacebookアカウントを作成した。中学の同級生たちのアカウントを覗いてみた。俺をいじったりいじめたりした人間たちは今でも友人関係を続けているらしかった。俺の顔を蹴り上げた男はだいぶ太ったその腕の中に赤ん坊を抱いて、俺の知らない女と共におめかしをして、あの頃と変わらないメンツに囲まれ笑顔で写真に収まっていた。

 

 

昨日の深夜、酔っぱらった耳で大森靖子「給食当番制反対」を聞いていたら、そんな中学生時代の思い出が蘇ってきて、ぼろぼろ泣いてしまった。
泣き終わってから、教室から締め出されたり、顔面を蹴り上げられたりした経験を、いじめとして捉えないようにしていた自分に気づいた。
あれがいじめだって気づかないまま人生が終わっても良かったのかもしれないけれど、気づいたいま、なぜかわからないけど清々しい。