ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

スカート

部屋の片付けをしていたら、積み重なった本の下から黒いビニールの包みが出てきた。しまった、と思う。何年か前に誤って投函された、知らない人宛の荷物。宅配業者に、あるいは本人の自宅に(彼女の住所は俺の家からそう遠くなかった)届けよう届けようと思いつつ、なんとなく億劫でそのままにしていた。黒い包みは白い埃に覆われていた。


時効だろう、と言い訳して、包みを開けてしまった。透明のビニール袋に入った、白い布が出てきた。かわいらしいレースの安っぽい白のロングスカートだった。ネットショッピングで買った品物だったのだろう。こういうスカートを履く人は、俺の知り合いにはひとりもいないな、と思う。とても女の子らしいものだった。

 

迷った、が、けっきょく履いた。迷いながら、中学生のころに、子供部屋でやったことを思い出した。


修学旅行、夜のレクリエーションで、俺のクラスの男子は、みなで女装し踊り歌った。同じ出席番号の女子たちから制服を借りて、男子たちはそれに身を包んだ。俺たちは制服を持ち帰り、クリーニングに出し、女子たちに返した。


旅行から帰り、子供部屋で荷ほどきをすると、スカートが出てきた。そのとき家には誰もいなかった。俺はズボンもパンツも脱いで、ひとりスカートを履いてみた。みんなの前で「いやいや」履いていたときとは違って、自分の意思で履いたスカートは清々しかった。いつもと違って無防備になった内太ももがスースーしたとかそういうことではなく、背徳感から来るドキドキとも別のところで、なぜだか心がスカッとした。もちろん、少しだけ興奮もした。
夕陽が綺麗な時間だった。

 

中学のとき実家で履いた制服のスカートを、ニートのいま、東京の小さなワンルームで思い出す。カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、真っ白のスカートに足を通す。腰の部分がゴムになっているそのスカートは、男の俺にでも履けるラフなもので、へそのところまで上げると、キツさを感じることもなく、すんなりそこにとどまる。制服のスカートとは違い、すねのあたりまで伸びた白いスカートの裾は、あまり清々しさを感じさせない。お風呂上りに腰にタオルを巻いてリビングまで出てきた、みたいな感じだ。濃いすね毛がみっともない。あんまり愉快な気持ちにはならなかった。少し興奮はしている。いや、かなり興奮している。俺はもう大人になってしまったからだ。
とはいえ、そこに清々しさはなく、少し惨めな気持ちになる。

 

後日、家にやってきた女の前で「こんなスカートがあるんだ」と言ってふざけて履いてみせた。女はなんだか喜んでいて、テンションが上がってしまい、よし、と言って化粧道具を並べはじめた。そんなのいやだよ、と言いつつ、惹かれてしまう俺がいた。


なされるがままだった。目の縁をペンが走った。まつ毛は重力に逆らった。お風呂場の鏡の前に立ってみた。
まんざらでもなかった。目の周りだけ見ると、それなりにかわいかった。俺の目はもともと大きく、二重で、まつ毛は長く、黒々として量が多い。おまけに昔このまつ毛は綺麗に反り返っていて、よく女から羨ましがられた。それもいつのまにか庇のようになってしまった。今は、かつてのようにくるんとなっている。メイクをしてくれた女も、綺麗だ、かわいいと言って、褒めそやしてくれた。
しかし、口元には無精髭が生えていて汚らしい。鏡に映る俺は、口元を抑え、自分のまなこだけを見つめていた。

 

けっきょく、これから先も、俺は自分でスカートを買ったり、メイク道具を揃えたりして、自分を「女として」飾ってみることはないだろう。俺は、自分が決定的に変わってしまうのが恐いのだろうか。
記憶力の弱い俺がそれでも覚えている言葉に「自分の欲望のポテンシャルを低く見積もってはならない」というのがある。
自分の欲望と向き合うのは難儀だし恐いから、人はいつも、そのポテンシャルの高さから目を背けてしまう。けっきょく、自分の欲望にとことん付き合うのはめんどくさいし、際限がなく恐ろしいことでもある。怠惰で恐がりな俺は、男の娘にはならないし、仕事にも就かない。

 

「自分は、まだ何も人生というものを生きていない、自分の思った通りに行動してちゃんと恥をかくこともせず、もしかしたら自分でもまだ知らない才能がどこかに眠っていて誰かがそれを見つけてくれるかもしれないなんて都合のいい夢みたいなことばかり考え、自分の生身の姿をどこかに置いて、まっすぐ力を試すことすらしていない。自分はまだ一度も世界に直接触れてはいないんだ」