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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

「なにがおもしろいのかぜんぜん分からない」

「なにがおもしろいのか分からないけどとにかくおもしろい」と「なにがおもしろいのかぜんぜん分からない」は、分からないのはお互いさまなのに、後者の方が偉そうにしていることが多い気がする。

 

「なにがおもしろいのかぜんぜん分からん」人たちは、ある対象をおもしろがっている人たちがいる場合に出現する。彼らはカウンターとしてしか存在しえない。誰もそれをおもしろがっていないのに「それのどこがおもしろいの?」と言う狂人は見たことがない。誰かがそれをおもしろがってないと「そんなのおもしろくないよ」という言葉は生まれない。

 

「なにがおもしろいのかぜんぜん分からん」は、おもしろがっている人ありきの言葉だ。「おもしろさが分からない人」は、いつも遅れてやってくる。遅れてやってきて、「そんなのどこがおもしろいのか分からんわ」とわざわざ言う、あんまり感じ良くないなあ、と思う。

 

でもまあ俺だって「なにがおもしろいのかぜんぜん分からん」と何度も言ってきたし、これから先何回も言うだろう。「それをおもしろがっている人」たちの高揚に水を差さないように、自分にはそのおもしろさが分からないんだよね、と言えればいいけど、なかなか難しい。

 

ここまで「それのなにがおもしろいのか分からん」と言いつのる人たちは偉そうにしてることが多いと言ってきたのに話は急展開するが、さいきんは「なにがおもしろいのか分からんけどとにかくおもしろい」陣営も勢力を拡大してるような気がする。

 

カウンターとしての「それのなにがおもしろいのか分からん」に対して、「なんか分からんけどとにかくおもしろい」と思っている人たちは彼らへの説明を放棄したうえで「おもしろいもんはおもしろいんじゃバカ分からんやつはそこ退け」と言うだけならまだしも、「それのどこがおもしろいのか説明すんのは野暮なんだよ、おもしろさが分からない己の感性をまず疑え」みたいに言われると、首をひねってしまう。

 

脊髄反射的におもしろがり、脳で考えないうちは、いつまでも経っても死ぬまで同じようなものだけをおもしろがり続けるに止まるだろう。「それでいいじゃん」と言われちゃったら、まあそっか〜そうだよなあ〜と苦笑いするしかないのだけれど。

 

脳でおもしろがってる粋な人ってのがいちばん理想なんだけれど、そういう人はあんまり見かけない。

 

自戒をこめてしたためました。