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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

午後の電車

しとしとと雨が降る秋の午後の改札口は出たり入ったりする人たちの数のわりに静かで、運動会の閉会式のようなけだるさがあって、ピンポーンという機械の音だけ響くのが、少し寂しくて気持ちいい。夏の頭のなかは「暑い暑い」のうだりでいつもうるさいし、冬はガチガチに震えるから何も耳に入ってこない。春の午後もノーテンキだから確かに気持ちいいけれど、秋の寂しげな気持ちよさとはやっぱり違う。俺は秋の方が好きだ。

 

午後の電車に乗る人たちは、ほとんどみんな目的地を持つはずだけど、目的はなさそうに見える。つねに目的のない俺には居心地が良い。ひとりで乗車する人ばかりなのも良い。

 

車内はみんなひとりきりだから(午後2時から3時の電車はひとりで乗るものだ)、喋っている人はもちろんいないのだ(たまにずっと喋っている尋常ならざる人もいる)けれど、みんな言葉を持っているし、頭のなかではいろいろな言葉が巡っているだろう、ただただぼーっとしている人もいるだろう。

 

なぜだか、午後の電車のなかを思い出してみても、スマホをいじっている人のイメージが浮かんでこない、いるには違いないし、俺だっていじってるはずなんだけれど、みんなどこかうわのそらで、とりとめのない考えが浮かんでは消えたりしているだけだった気がする。みんな向かい側の車窓に見える、薄暗い家々を眺めている。席は空白が目立つから、外の景色がいつもよりパノラマ。

 

俺が思いつくかぎりだと、秋の小雨のなかを走る午後の電車が、もっとも心地よい連帯の実現だ。みんなひとりきりで、でもそれぞれの気分は似ている。もちろんみんな目的地も違うし、これからの予定も違うだろう。実は病気と闘っている人もいるだろうし、大切な人に先立たれて何年も経ったのにまだちゃんと立ち直れていないように感じている人もいるだろう。指定校推薦が決まった帰り道かもしれないし、最終面接へ向かうところかもしれない。それぞれみんな落ち込んでいたり喜んでいたり緊張していたり、あるいは怒っていたりする、そして、その気持ちはこの車両の誰も知らない、知らないから干渉されることもない。人目があるから、叫んだり泣いたり怒鳴ったり笑ったりすることもない。みんなが「ひとりきり」であるという共通点と、みんなが「ひとりきり」がゆえのゆるい緊張感が、実に心地よい。

 

俺にとっての秋の小雨のなかを走る午後の電車は、大人にとっての、静かにろうそくの火が揺れるバーのカウンターなのかな、と、ふと思った。