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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

霊言

雑記

「『たった1日でころころと言動が変わってしまう人とは、どんなに時間をかけても信頼関係が結べないのだな、と、とてもよく分かりました。気づくのが遅すぎましたね。もう諦めます。ありがとう』

 

ここまで書いたのに、送信できなかった。このメールを送ったら、本当にぜんぶ終わってしまう、そう思うと泣きそうになった。この家にはわたししかいないのだから、思い切り泣いてしまえばラクになれるかといえばそんなこともなく、ここで涙をこぼしてしまうと、わたしはもう二度と立ち直れないような気がして、だから涙を必死でこらえた。代わりに、わーっ!  と大きな声で叫んだら、少しスッキリした。喉が渇いたのでコーラを飲む。便秘にはこれがいちばん効くと、昔から信じている。

わたしはやっぱりあの男のことを愛しているのだろうか。たぶん、そうではない。わたしはさびしいのだ。だから、1日考え抜いて書き上げたメールは、未送信トレイに保存してそのままにした。

 

 

久しぶりに未送信トレイを開いたら、最後の未送信メールは去年の12月6日の日付になっていて、当時どんな心境だったのか、もうよく覚えていない。年末になったら子供たちも帰省するし、そしたらあの男も帰ってくる。久しぶりに家族全員この家にそろって、あけましておめでとう、なんて言い合えば、何か変わるかもしれない、と思ったんだっけ。けっきょく何も変わらないまま、夏がきた。

 

わたし以外だれもいないこの家を、わたし以外の誰かがいたときよりも、わたしは綺麗にしている。汚す人がいないから清潔に保てるというのもあるけれど。むかしは掃除したそばから米粒をこぼす子供たちにいらだったりしたっけ。懐かしいな。いまは、年に数回しか使われないお箸を買いそろえるのが楽しかったりする。

洗濯機も、ひとり暮らしには、とても大きい。これを買ったとき、まだ3人で住んでいたんだっけ、それとも上の息子は上京してたっけ?  こういうことは忘れない性格だったのに、さいきんどうも頭が回らない。年末年始の帰省中、子供たちが寝巻きにしていたTシャツは洗わずにそのままで置いてあって、わたしはたまに匂いをかぐ。匂いが薄れるにつれて、なぜか思い出は鮮明になっていく。眠っている子供たちのおでこにキスできた日々。あのころのわたしが羨ましい。

 

こないだ電話で息子に『母さんは俺に、自由しなさい、とよく言ったけど、自由にしろってのはけっきょく、放任と同じことなんだよ、俺はある程度の道筋を見せてほしかった』と言われた。何を甘えたこと言っているの、と呆れそうになったけれど、確かにそうかもしれない、とも思ったから、そうだね、とこたえた。父親の出ていった家で、専業主婦のわたしがひとりいて、息子は社会というものに触れる機会をあまり持たなかった、アルバイトだってしなくていいよ、と言ったのはわたしだ。そして彼はいま、社会に出る手前で立ち止まっている。わたしにはいったい何ができるのだろう、わたしはいったい何をしてあげたのだろう。無力感だけがある。末っ子も、大学を辞めたいと言っている。わたしはずっと大学くらいは行っておいたほうがいいよ、と高卒だった自分の経験からそう言ってきたつもりだったけれど、なぜ大学に行ったほうがいいのかなんて教えられなかった。わたしは彼らに道徳のようなものを教えることはできたと自負している(子供たちはとってもやさしく頭のいい人間に育ったと思う)。その一方で、社会人になる筋道をつけてあげることだったり、大人とはどういうものか、みたいなことは教えてあげられなかった。あの男が家にいたら、彼らももう少し生きやすかったのかな、なんて思ってしまう。

 

『お母さんは、いつでも子供たちの心配が一番にあります。遠く離れて当然の事です。就職活動で悩んで苦しい気持ちがわかるからこそ、なんとか力になれないかと考えています』、そうメールを送ったらしばらくして電話が鳴った、『とりあえず実家帰ろうかなとも思ってる』と息子は言った。お盆になったら帰省して、そこでいろいろ話したいそうだ。

 

さいきんのわたしは年のせいかすごく体調が悪く、熱と嘔吐は収まったけれど、いまだにだるくて何もやる気が起きない、やたらと変な汗もかく、動悸もする。子供たちが帰ってくる前に、なんとか体調を整えないと。せっかく帰ってきた子供たちを元気に迎えてあげられないなんてことは、あってはならない。

息子がここに戻ってきて、そのままいっしょに生活するようになったら確かにそれはとても嬉しいことだけど、でも、息子には自分がしたいことをしてほしい、と本気で思う。わたしはひとりにも慣れてきたから、子供たちが健康でしあわせに生きてさえくれれば、年に何回か会えれるだけでいい。わたしは飛行機嫌いだって克服したから、体力さえつけば、何度でも東京に子供たちの顔を見に行くことだってできるのだし。

 

でもやっぱりこれから続くであろう何十年をひとりで生きるのかと思うと、とてもさびしい。できれば、あの男に戻ってきてほしい。こう言うのはなんだか悔しいけれど、たまにこの家にやってくるあの男のために食事を作っているとき、わたしは少しだけしあわせを感じられた。食事が終わったら「コーヒーちょうだい」なんて言うあの男の横柄さは、以前だったら憎たらしく感じたはずなのに、いまは甘えられているような気がして悪い気はしない。

わたしにはあの男と子供たちしかいない。だから、できることならやっぱり家族がまたひとつになればいいな、とも思う。

 

 

目覚めるとすぐに吐き気がして、少し布団に吐いてしまった、でも動ける気がしないし、もうどうしようもなく頭が痛くて、自力で病院に行くのも無理そうだった。もっと早いうちに行っておけばよかったな、なんて思うこともできなかった。ただ苦しくて、痛かった。

あの男に電話して、病院に連れていってほしい、と言うと『いま会議中だから終わったら急いで行く』と言われた。わかった終わってからでいいよ、と返事したけど、けっきょくあの男はすぐに駆けつけてくれた。

気づいたときには救急車に乗せられていて、でももう何も考えられなくて、痛い痛いとしか言えなかった。わたしはやがて意識を失ってそのまま死ぬのだけれど、死んでしまうとわかっていたなら『子供たちに愛してると伝えて』くらいのことはあの男にことづてしたかった。でもまあそんな余裕はなかったから、しかたない。『さいきんちょっと体調悪いんだよね』と息子にこぼしたとき、彼は『病院に行って』言ってくれたのに、わたしは行かなかった。行けばよかったね。

 

 

わたしがいなくなっても、もちろんわたしのケータイは残っていて、そのケータイのメールボックスを見たら、あの男は何を思うんだろう。でももういまはぜんぜんさびしくないからどうでもいいのだ。ただ、家族全員の健康としあわせを祈るだけ。わたしのことはいいから、みんな健康に、仲良く、しあわせに生きてほしいな」