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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

書けるようになりたいから書く

雑記

一ヶ月が経ってようやく書けた。でも、まだなんにも書いていないような気もする。結局、そのものについてはまだまだ書けないんだろう。このままだと、いつか書けるようになるそのときは多分、いろんな気持ちをあえて捨象して体裁よく書くか、いろんな気持ちを忘れてしまって書くことがほとんどないかの、どちらかな気がする。すべてを忘れずに、ぶちこんで、なおかつまとまりのある文章が、書けるようになりたい。

 

この文は、1年以上前にべつの場所に書いた文章の最後に置いたものだ。
これを読んだ友人は「人生でいちどしかない事態に直面しても、自分事で最後を締めるおまえが恐いよ」と言っていた。確かに、親の死の報告を締める文としては確かにちょっとどうかしているのかもしれない。



きょう、ひさしぶりに「1999年、夏、沖縄」を聞いた(動画見ようと思った方は、冒頭なぜかマキシマムザホルモン「What's  up, people?!が大音量で流れるので音量注意)。


実家に唯一あったパソコンは母がもっとも長い時間を過ごすキッチンからすぐ見える場所に置かれていた。母の居ぬ間にパソコンの前に座りオナニーしていた時代、買い物から帰ってきた車が駐車場に着く音を聞くと同時に、不本意なフィニッシュを己に促し、履歴を消し、電源を落とし、トイレへと駆け込んでいたあの頃。そんな劣悪なオナニー環境がおれの上京精神を育んだと言っても過言ではない。親の視線に怯えずにオナニーに耽りたい、その意志がいまのおれの原点だ。


いきなり話が脱線してしまった。
キッチンでビールを飲みながら煙草を吸っている母の視線を背中に受けながらパソコンを使っていたおれは、YouTubeで音楽を聞くにしたって、母の感情を害さないような、できれば、母に感心してもらえるような音楽を流さないといけないような気がしていた。
「1999年、夏、沖縄」を流したとき母は、いい曲だね、と言ってくれた。ミスチルは性に合わないらしい人だったけれど、この歌の詞には感じ入るものがあったらしい。
「世界一のお酒を見つけました。それは必死で働いた後の酒です」という歌詞に彼女は深くうなずきながらビールを飲んでいた。
おれと兄弟を産んでしばらくして、何気なく「働いてみようかな」と言ったら、父は「ヒマなら習い事でもすれば?」とそっけなく返したのだと、母は何度かおれに話したことがある。


いつか、実力がついたら、「すべてを忘れずに、ぶちこんで、なおかつまとまりのある文章」を書こうと思っていたのが去年のおれだったけれど、そんな「いつか」を待っているうちにすべてを忘れてしまうのだろうし、そんな悠長なことは言ってられないなあ、と、きょうふと思った。



ここまで書いてきてなんだけれど、母がこの「1999年、夏、沖縄」を聞いたのは、父を除いた家族3人でカラオケに行ったときに、おれが歌ったのがはじめてだったのではないか。
こうやって記憶は混濁し、思い出はぐっちゃぐちゃになって、もうだめなのだ。
やっぱり臆せずに書き続けるしかない。