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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

手癖

夏と変わらない格好で玄関を出ると肌寒かった。
アパートのエントランスを出ると、日が肌に当たる。突き刺す日差しではなく、あたかかく包みこむような光だ。軽い風が肌を撫ぜる。光と風の混ざる季節がやってきた。秋だ。


クロネコヤマトの緑の台車が家の前の十字路を流れていて、荷物を落とした。斜向いの家の門からクロネコヤマトの男が飛び出してくる。「滑っちゃったみたいで」と、おれに目を合わせてはにかんでくる彼に、はあ、と苦笑いを返して立ち去った。


歩きながらふと空を見上げると、ひさしぶりに見た青空には、クリーム色の雲が散っていた。死に絶えたセミのかわりに聞こえるのは姿の見えない小鳥のさえずりで、やっぱり夏はうるさいのだなあと思う。


この町に越してからというもの、季節の変わり目には近所の公園に行きたくなるのが常だったのだけれど、その公園はずっと前に時間が止まってしまったので、入ることが叶わない。コンビニでほうじ茶と弁当を買って家に戻った。


部屋のなかも時間が止まっているようで、外と違って未だに暑い。まだエアコンを入れている。秋にそそのかされて買ったほうじ茶は、この部屋にはまだ適さなかった。



この部屋の壁には服が何着かかかっている。
この夏いちども着なかったボーダーのポロシャツ(痩せてから着ようと思っていたら夏は終わった)、去年の冬から片付けられていない雪のようなホコリをかぶった黒のコート、いつ買ったのかも思い出せないリクルートスーツ、ボロボロに着倒したダウンジャケット。


衣替えは句読点なんだろうな、と上京してからずっと思っている。
思っているだけでいこうに句読点を打つ習慣はつかないのだけれど。


生活にメリハリをつけるために、季節ごとに洋服を入れ替える。そうやって心を切り替える。
文章に秩序と心地よさを与えるのが句読点なら、生活にとってのそれは衣替えなのだ。
故郷は季節の数が少なかったし、そしてなにより衣替えは母のしごとだった。



きのうまでの東京は一時期よりだいぶ涼しくなったものの空気がたっぷんたっぷんしていて蒸し暑かったが、きょうついにおれの苦手な夏が終わり、秋にやってきたのだ、と思った。しかし天気予報によれば、来週の月曜日の天気は雨で、気温は28度らしい。
季節はわかりやすく変わってくれないから、生活のある人間は、「暦の上では」を利用している。

弁当を食べ終わって、ほうじ茶を持ってベランダに出る。
向かいの家の大きな木の葉が少し赤くなっているような気がする。隣の部屋の女が、ベッドパッドを手すりに干している。室外機が回っている。


部屋を出よう。